「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「誰かに」愛されるよりも「自分を」愛したい

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「愛されるよりも愛したいマジで」


kinki kidsではない。

むしろその逆ということになる。

「自分を」愛したいのだ。


ようやくたどり着いた境地、

「愛」だの「恋」だのはあやふやなもの、

そんなものに振り回されても仕方がない。


まず初めに愛するべきは「自分」だ。


私は自分の人生に対して、向き合っているようで向き合っていなかったのかもしれない。

だから誰かが「愛という名のおやつ」を与えてくれるのを待って、

それが叶わないからと言って人生を色あせたものだと決めつけていた。


「愛」だの「恋」だのに、

「人生を変えてくれるかもしれない」って、

必要以上の期待をしていたのだ。


「それさえ手に入れればすべては解決する」


自分にそう言い聞かせて、

それを手に入れるために躍起になった。


だけれども、

素敵なパートナーを見つけたとしても、

口をパクパクしながらおやつを待っているだけならば、

何も解決はしないのだ。


誰かのせいにすることで逃げていた。

必死なようで必死ではなかったのだ。


向き合うところから始めないといけないな。

「不運」は「不運」を呼び寄せる。


観念ではない。

行動だ。


悲哀にくれて儚さを演出することで、

悲劇の主人公を演じてさ。


そんな方法で保つ自尊心、

それになんの価値があるのだろうか。


「何も変わっちゃいないんだよ」


前に進んでいるようでさ。

根本的には何も進んでいない。

そこからくる「停滞感」


「自分を愛する」って大変なこと、

ある意味「理想を諦めない」ってことだから、


言葉遊びに興じてさ。

頑張っているふりばかりしてさ。

いつだって悶々としていることに自分は気が付いている。


人生を質に入れていたのは私だ。


「質草」は流れていないだろうか。

手遅れではないだろうか。


自分を納得させるための「妙な理」に心を委ねてさ。

自分の人生を生きていないから満たされない。


どこからか持ってきた言葉をパズルみたいにくっつけてさ。

都合のいい解釈で「変わらなくていい」方向に心を引っ張るのだ。


「自分の心」さえも安易に信じてはいけない。


「自分の人生を愛する」

今の私には「心」よりも「軸」が大事だ。

 

「心の声に従う」ことは、

時として「自分の人生を愛する」ことと一致しない。

厳しいほうを選ばなければならないこともあるのだ。

 

自分の心を律することのできる強さ、

そこに真の自己愛は隠れているんじゃないのかな。