ドラマ『G線上のあなたと私』
そのワンシーンで出てきた言葉、
妙に腑に落ちた。
その通りだなって、
一方的な愛情を向けられたところで、
それに応えられなければ迷惑なだけ、
罪悪感に蝕まれたり、
愛想を向けないように気を使ったり、
時には犯罪に巻き込まれたり、
同じくらいの力で押し合って、
ちょうど均衡するから「愛」ってやつは成り立つ、
お互いがお互いを好きであれば、
こんなに素晴らしいことはないけれど、
多くの場合、どこかで力関係ができてしまう。
「惚れた方が負け」
よく聞くけれど、
結局はそういうものなのかな。
嫌われたくないから、
関係を続けるために折れ続ける。
そうして都合の良い人間になるとこで、
「愛情の差」を埋めようとする。
疲れてしまうまでずっと、
逆に愛情はなくても同居人として、
お互いが程よく好感を持ち続けていれば、
関係はうまくいくのかもしれない。
そうやってお互いの気持ちが均衡しているから、
恋愛関係ってうまくいく。
「こんなに愛しているのに」
いくらそう思ったところで、
どうにもならないこともある。
むしろその方が多いくらいだ。
だけれども気持ちは簡単には止められない。
だから愛が憎しみに変わる。
「なんで?どうして?」
そうやって周りが見えなくなって、
些細な不誠実さを許せなくなって、
話し合う機会を先延ばしにするほどに、
どんどん憎しみは深まって、
許したくても許せない。
ドツボにハマってしまう。
向けられた側からすれば迷惑な話だ。
だから遊びで相手をその気にさせて、
自尊感情を満たすことにはリスクがつきもの、
路上で急に刺されてしまうかもしれないよ。
人の心を弄ぶって卑劣なこと、
人を軽んじる人は人から軽んじられる。
結局は自分に返ってくるのだ。
だからわざわざ手間暇かけてまで、
憎しみに縛られて手を下す必要なんてない。
そんなことをしたところで、
自分が損をするだけ、
世の中にはクズみたいな男もいれば、
クズみたいな女もいる。
だけれどもそれって、
クズみたいな女にさせてしまう男がいて、
クズみたいな男にさせてしまう女がいるってこと、
惚れさせる気で接するならば、
本気で責任取るつもりで惚れてからにしろ、
そうすればうまくいかなかった先でも、
相手の幸せを思って退くことができるはず、
それが気持ちを暴力にしないための責任ってもの、
「この人間のクズ」
そう言ってやりたい相手がいる。