私の彼女はかわいい。
見た目は、クールできれいでスマートな印象だが、
ひとたび心を許すとそうなるのか、途端に妹キャラを全面に押し出してくるのだ。
私も初めは驚いたが、今では私があしらうくらいに、人目を忍んでは甘えてくるようになった。
(先日は私があしらわれたのだけれども)
「恥ずかしいから二人だけの秘密ね」
そう言いながら、彼女は私に体を預けてくる。
腕から伝わる、彼女の胸の感触。
私が、そのふくらみに意識を集中させていることをわかっているのかいないのか、
無邪気な彼女の様子に私は救われるのだ。
いつまで、こういう関係でいられるのだろう。
おそらく二人にとって、今この時は、またとない貴重な時間なのだ。
一緒に生活するようになったら、
お互いの本性が見えて幻滅するかもしれない。
子供に恵まれるならば、生まれた途端に愛情のすべてを子供に奪われてしまうかもしれない。
友人たちは、一様に「子供ができた途端に女は変わる」と言う。
余裕がなくなるということもあるだろうけれど、やはり新たに愛情の矛先ができることが大きい。
命懸けで産んだ子供なのだから、尚更だ。
いつまでもラブラブな夫婦。
おそらくそういう関係は稀だ。
最近聞いた話。
20歳もそこそこで結婚した友人の話だ。
20代、30代は育児と仕事に追われて二人の時間を取ることなんてできなかった。
40近くになって、子供がようやく手を離れたから、夫婦で出かける機会が増えた。
そして、出かけるときは不思議と手を繋いでいるという。
付き合っていた頃も、ほとんど手を繋いで外を歩くことなんてしなかったのに、
この年になってから、自然と手を繋ぐようになった、と言うのだ。
いくつになっても、愛情はなくならないものなのかな。
お互いがやるべきことに追われていても、「家族」という一つの船に乗って苦難を共にしているのだから、自然と絆は深まるのだ。
「愛情を向ける先」が、一時的にはお互いではなかったとしても、どこかで心は繋がっている。
そして、「絆の糸」の太さは変わらないように見えたとしても、
時を重ねるほどに、その強度を増していくのだ。
それが、「夫婦の絆」ってものなのかな。
「他人」から「家族」へと変わる。
血のつながりはもちろんない。
生物学的には赤の他人。
それが「夫婦」というものなのだ。
それでも同じ時を過ごす中で、血のつながり以上のものが生まれる。
「養子」や「連れ子」にも同じことが言えるのかもしれない。
昔は集落ぐるみで子育てをしていたと聞くし、
乳母が近所のおばさんだということもあったようだ。
生物の営みとしては、そっちの方が合理的で自然なことで、パーソナリティの肥大化した日本人の営みが特殊なのかもしれない。
だいぶ話が逸れたな。
私の彼女はかわいい、という話だ。
私と彼女はこれから先、どのような時を過ごすことになるのだろうか。
先日、彼女から笑顔で少し恐い一言を言われた。
「もう引き返すことはできないよ」
それは、彼女が私のことを「結婚相手として手離したくない」という強い意志の現れなのだろう。
それでも簡単に体を許さない彼女は素敵だと思う。
誠実さとまっすぐな優しさ、気遣いで、私の心をガッチリと繋ぎ止めている。
本当に稀な、心から尊敬する素敵な人だ。
のらりくらりと、女性たちの好意らしきアプローチを交わし続けてきた私は、ついに捕まってしまった。
彼女は私の腕を離さない。
その無邪気でかわいい笑顔の奥には、どこか強い意志を感じるのだ。
もちろん、私も彼女と一緒になりたいと思っている。
だけれども、やはりがっつかれると、乙女チックな私は少し怯んでしまう。
それでも彼女は、私の腕を離してはくれない。
最近では、親しい友人たちに結婚の予定を話しているようだ。
「モテる男は辛い」と、
そういうことにしておこう。
なんてったって、私の彼女はかわいいのだ。