世間一般的に見て、
おそらく多数派に属するチームの一つに、
「子供が欲しい」チームというものがある。
相手もいなければ経験もないので、
「できれば」という注釈付きだが、
私もそのチームに属している。
婚活のプロフィールを拝見すると、
ほとんどの女性もそのチームに属しているようだ。
「当たり前だから」
女性からすれば大変な身体的苦痛を生じること、
場合によっては命に及ぶほど、
だけれども、
それを承知の上で多くの女性は「子供が欲しい」
当たり前のようにそれを希望する。
それって、
とてもポジティブなことなんじゃないかな。
それも「本能」という、
螺旋が生み出した感情からくるものなのかな。
「子供を作る」ということ、
人類という括りから一歩引いて外側に立って考えてみると、
「種族」という目で見れば存続に必須なこと、
だけれども「個」という視点からすれば、
圧倒的にリスクの方が大きい。
あらゆることに対してリスクを取らない。
そういう選択を好む種族なはずなのに、
この点については迷わずリスクを取る。
それって不思議なこと、
螺旋に組み込まれた感情というものは、
私が思っている以上に大きく、
我々の行動に作用しているようだ。
「白黒つけるパンダだよ」
人だって動物、
もっと気持ちを解放してもいいのかもしれないな。
「本能」に従ってさ。
「やりたいこと」に蓋をして、
「やらなくてはいけないこと」ばかりに縛られる。
それではいくら長く生きたところで、
時はただいたずらに流れるだけ、
できることはどんどん限られていく。
身体的に、精神的に、どんどん衰えていく。
だから、
「できること」を引っ掴むくらいに積極的に、
本能のままに生きればいい。
理性を働かそうとしなくても、
理性に縛られるくらいには小市民、
大胆なくらいがちょうどいいのだ。
「人類の未来に希望を抱いている」
「子供が欲しい」ってことはそういうこと、
絶望の未来に自分の子供を産み落としたいとは、
誰も思ったりはしないだろう。
我々の螺旋が生み出す感情には、
「希望」が組み込まれているということ、
私も一応は、
「子供が欲しい」チームの一員、
人類の未来を諦めてはいないのだ。
そして人類の多数派は、
「子供が欲しい」チームだ。
そう考えると少しだけ、
前向きに生きられるのかもしれないな。