自分の「性」とどう向き合ったらいいのかわからない

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私はこの3年あまりブログを書き続けてきた。


始めは気が向いた時に心情を綴るスタイル、

しばらくすると書きたいことが湯水のごとく湧き出てきたものだから、

書き溜めたものから毎日1つ記事を投稿するスタイルに変えた。


毎日投稿し続けて、

明日で1000日を迎える。


その期間を振り返ってみて、

伴侶を見つけるために年齢的に一番チャンスのありそうな3年間、

私は女性との関係を先に進めることなくその期間を消費してしまった。


実質9ヶ月程度の「婚活」で出会った女性は17人だろうか。

そのほとんどと1on1でのデートをした。

 

お熱だった頃にはブログのメインコンテンツとして、その経過を論じてきた。

 

「女性に対する敵視」

そういう目線での記事を書いていた時期もある。


多くの出会いを重ねてわかったことは、

私が心惹かれる女性と巡り合うことはほとんどないということ、

そして、もし出会えたとしても相手が同じように思ってくれるとは限らないということ、

この年で「恋愛を経た結婚をしたい」というのはとても難度の高いことだということ、


そんな「厳しい現実」ばかりだった。

 

前置きが長くなった。


さて、私はどう考えても「性的弱者」だろう。

30年以上も性行為を一度も経験することなく生きながらえている生物だ。


「つがいになる」という意味では人間という枠を超えて、

全生物中でもトップクラスにその能力が低いといえるかも知れない。


「気持ち」だの「誠実さ」だの、

そんな超自我に支配されて本能的なものを嫌悪しながらも、心の底ではそれを求めている残念な生き物、

 

そういう「生き物」が私だ。


その存在自体がなんと非合理的なのだろうか。

「種の保存」という生物的貢献度にフォーカスすれば「不倫をしまくるクズ男」のほうが、

よほど人類に貢献しているのかもしれない。

 

いや、そんなことはないか。

人類の築いてきた「婚姻」という制度を脅かすことは種にとって善とはならないのかもしれないな。


そんな意味不明な論理展開に行きつくほどに、

私の男としての自尊心はボロボロなのだ。


ここのところ改めて「禁欲生活」を再開したが、

そのことでさらに「惨め」に思えてくる。


私は私の「性」とどう向き合ったらいいのだろうか。

もはやわからない。


いくら禁欲を続けたところで、

欲自体が無くなるわけではないし、

これまで、その手の欲をひた隠しにしてきたものだから、

今更うまく使いこなす術はわからない。


私はただ「誠実さ」を女性たちに差し出しては、

それを搾取されるだけで終わるのだ。


手元には何も残らない。

人は本能のまま、リビドーに突き動かされて「動物」でありたいと願っているのに、

自ら作り上げた「社会」がそれを阻む。

 

そして「社会」の持つ力は益々強大になっていく。

共産主義も資本主義も関係ない。

今後もその流れは続くのだろう。


「人間」であるためには、

「動物」としての本能は捨てざるを得ないのかな。


そうやって「人間」はどんどん別の生き物に進化していく。

いや「進化」なのかどうかもわからない。

それどころか、もはや「生き物」なのかどうかもわからないか。

 

どんどん人の心は解析されて、

ビッグデータ」として蓄積されて、

商売の道具に変わっていく。

 

解析すればするほどに、

「心」というものの「ブラックボックス」は減っていき、再現可能になるのだろうか。

 

浦沢直樹PLUTO

心を持ったロボット「アトム」が生み出されたら、

人間存在の本質そのものを見つめ直さないと、

人類の道徳そのものが崩壊する。


他のものは「無機質」に変わったとしても、

「心」だけはいつまでも「有機的」で在りたい。


切にそう思う。

 

有機的であり続けること」

「そうありたいと願い続けること」

 

合理的とは対極の非合理、

そこに「性」に対する答えはあるのかも知れない。

 

いくら論理的に考察したところで、

私の悩みが解決するとは思えないのだけれども、