今後の情報セキュリティで、
基準となりそうな考え方、
要は、
「セキュアなプライベートネットワークであっても安全な場所はない」
というもの、
「安心できる場所はどこにもない」
セキュリティの世界の話だけれども、
世界がそういう方向に動いているのかな。
そう考えるとなんだか寂しい。
便利になった反面で、
いつでもどこでも誰かが狙っているのだ。
いつでもどこでも安心できない。
確かにそうだけどさ。
もう少し心落ち着ける場所ってないのかな。
ガチガチに理論武装してさ。
自分の生き方の正しさを証明するために躍起になる。
だけれども、
そうやってイキり立つ姿からは、
幸せのかけらも伝わってこないよ。
「居場所を失うのが怖い」
人の行動原理って、
大体それで説明できてしまう。
「一人で生きている」って人だってさ。
世界と自分との関わり方をちゃんと持っている。
だからその関わり方を脅かされる時は、
躍起になってそれに抵抗する。
居場所がないと生きてはいけないのだ。
「ゼロトラスト」
情報の価値は上がる一方だ。
あの手この手で誰かの秘密を暴こうとする。
合理的を突き詰めれば、
それを守るためには、
より大きなコストが必要になる。
そういう考え方に行きつくのは必然なのだろう。
だけれどもなんだか寂しい。
これが人間の限界なのかな。
どんなに普段は紳士的で優しい人でも、
顔が見えなくなってしまうと、
人を人とも思わずに欲望がむき出しになる。
私だってそうだ。
画面の先にいる人は、
自分と同じように、
弱くて脆い生身の人間、
どんどんそのことを忘れてしまう。
「誠実」って一口にいうけれど、
どこからが「誠実」で、
どこからが「不誠実」なのだろう。
画面を通してしまうと、
どうも何かフィルターのようなものをかけて、
人を人とは見られなくなってしまうのかな。
生身に触れれば、
こんなにも愛おしく思えるのに、
面と向かって言葉を交わせば、
こんなにもお互いを分かり合えるのに、
便利になればなるほどに、
心の距離は離れてしまう。
「ゼロトラスト」
どんな人がいるかわからないから、
基本的にはすべての人を信用しない。
そんな悲しい考え方、
世界はそっちの方向に一方通行で、
もう元には戻らないのかな。
人を信じることから、
信頼って生まれると思っていたけれども、
そういう世界はもう終わってしまうのかな。