自分の「居場所」を守ることに必死、
だから人は人に対して残酷になれるのだ。
利害関係のない場所だったら、
みんながみんなに優しくなれる。
純粋に「楽しみたい」って思える場所だったら、
みんながみんなに優しくなれる。
そんな「優しい世界」に身を投じてみると、
「人ってものは捨てたもんじゃないな」ってそう思える。
人と人とが重なって、
目的のもとに集まって、
ふたり、さんにん、ひゃくにん、せんにんと、
大きな組織が出来上がっていく。
始めは「同じ目的」を有していたはずなのに、
人が増えるにしたがって「目的」は多様化していく。
そのうちに「同じ目的」はそっちのけで、
「自分の利益」ばかりを考える人が出てくる。
人は「損をすることが苦手な生き物」
「悪」は伝染しやすいものだから、
どんどんどんどん「利己主義」な人たちが増える。
それが行くところまで行ってしまったから、
みんな「優しい世界」を求めているんじゃないかな。
だけれども、そう簡単に歯止めは効かないのだ。
いつしか「居場所」を守ることが目的になって、
上にあがることが目的になって、
人を上手に道具みたいに扱える人が偉くなって、
「成果をあげられる人」と評価されていく。
「他人の痛み」を見て見ぬふりして、
そのうちに「痛み」を感じられなくなって、
「人」から「別の生き物」に進化だか退化だかわからない変化をしてしまう。
人間てものはさ。
「弱い生き物」なんだよ。
とてもとても「弱い生き物」なんだよ。
どんなに強く自分を鍛えようとしたところでさ。
「弱いところ」を隠すことはうまくなっても、
そこを強く鍛えることはできないんだよ。
それを克服するためには「心を殺してしまう」しかない。
だけれども、そうしてしまったら、もう「人間」ではないのかもしれない。
だから「優しい世界」が必要、
人にはさ。
「優しい世界」が必要なのだ。
「自分はこの世界にいてもいいんだな」って、
「この世界には自分の居場所があるんだな」って、
能力も、性別も、人種も関係なく、
そう思える場所を増やしていくことが必要なのだ。
今は「分断」の時代、
「コロナ禍」は人類に課せられた試練なのかもしれない。
次々とオンライン上に新たな「居場所」を創出する人類、
「人とつながっていたい」のだ。
「優しい世界」
みんながそれを渇望している。
そこでは、
みんながみんなに優しくなれる。
己の欲望を乗り越えて、
時にはそれをさらけ出して、
みんながみんなの悩みに寄り添って、
頭が利害関係を計算するよりも早く、
細胞が瞬時に反応して、
人に対して誠実な行動を取ることができる。
そういう「本質的な優しい世界」
みんなそういうものが大好きなのだ。