ものすごく壮大なメタ認知

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私が書いてきた660に及ぶ記事たち、


その一つ一つを紐解いてみると、

「私」という人間の内側が見えてくる。


このブログのテーマは

「私と世界との関わり方」


身バレを防ぐための多少の改変や脚色はあれど、

忖度など全くない。

私の内面から出てきた言葉を紡いだものだ。


2年間に及ぶ壮大なメタ認知

振り返ってみるとそう感じる。


「私のブログは私が私を知るためのもの」

 

ブログを続けてきた一番大きな目的って、

それなのかもしれない。


だから続けられる。


行き場のない言葉たちに、

居場所を与えてあげられるから、


だから続けられる。


私の人生に必要なことだって、

漠然と、だけれども強くそう思えるから、


私は自分のことを知りたいのだ。

きっと「自分大好き人間」だから、

 

ダークトライアド(3大邪悪特性)

その一つに挙げられる、

ナルシシズム


どうやら私はその特性が強いみたい。

だから他人を認めているようで認めていないのだ。

 

おそらくそれは自尊感情の低さに起因するもの、

自分の男性性に全く自信がない。


何をしたら、

何をされたら、

どう心が動いて、

どう心を動くようにしたいのか。


ブラックボックスをなくしたい。

自分の心をコントロールしたい。

そうやって「自分のやり方」にこだわる。


だけれども、

思い通りにいかないのが心だ。


「自分のやり方」にこだわればこだわるほど、

本来の私から離れていく。

無意識を自我で押さえつけようとしている。


だけれども無意識は自由だ。

押さえつけることなどできない。


無理に干渉しようとすると、

夜な夜な漏れ出してきて、

扁桃体を刺激する。

 

いつだって夜だ。

だから人にとっての死のイメージは暗闇なのだ。

無意識が作り出した不変のイメージ、


どんな環境に生まれて、

どんな文化に触れて、

どんな育ち方をしてきても、

人類共通のイメージというものがある。


「死は暗闇」


それは人類共通のイメージの最たるものだろう。


もしかするとそこに、

無意識のしっぽを掴むヒントが隠されているのかもしれない。


人の心は小宇宙だから、

この手のものに傾倒しすぎると、

発狂してしまうな。

気を付けなければならない。


ブログでシコシコと自己満足の記事を書いて、

ナルシシズムに浸っているくらいがちょうどいいのかもしれないな。


浮世で生まれ、

浮世で育ち、

浮世に染まり切った文明人には、

きっと壁を超えることはできないのだ。


でもそれって、

壁に守られているってこと、


パンドラの箱というものは、

心の内側にも存在するのだ。

 

それを開けてしまったならば最後、

守ってくれるものはない。

 

人の悪意や集団の同調圧力に晒されて、

それでも自我を頼りに進まなければならない。

 

自我だけが道標、

 

19『テーマソング』

『決められた道歩いてた。

「答えがさぁ溢れてる」そんな世界で、

ただ毎日と塗りつぶしてけば、

「休みだけ自由」「それも人生」なんて割り切るの?』

 

 

心を生かすも殺すも、

自分次第なのだ。