数字の積み重ねには魔力がある。
それを基準にして、
人は前に進んでいる気になれるのだ。
ここ最近は、
数字ばかりにこだわっているような気がする。
自分の生活を管理しすぎて窮屈に感じることがある。
確かに「可視化」によるメリットは少なくない。
だけれども見えすぎても辛いものがある。
「自分で決めたこと」だとか、
「努力が足りない」だとか、
充実を目指して始めたことなのに、
制約ばかり増えてしまう。
自分の価値を「数字」に求めているのだ。
それでは「数字依存症」だ。
心の動き方を優先させるべきなんじゃないかな。
「正」か「負」か。
心はどちらの方向に動くのか。
数字が積みあがったところで、
それと同時に虚しさばかりが積みあがったら、
それでは本末転倒だ。
「効率化」
「最適化」
もともとがスタイリッシュじゃないのに、
そうやってスタイリッシュを装ったところでさ。
なんだか自分の人生じゃないみたいだ。
色々なものを取り入れて、
生活を整えてきたつもりだけれども、
一周回ってなんだかそう思う。
私はきっと数字に依存していたのだ。
積み重なる数字に自分の価値を委ねていたのだ。
ブログの連続更新日数やら、
読書冊数やら、
ゲームのスコアやレベル、
株価に積立金額に家計簿、
この一年で何人の女性とデートしただとか、
禁欲を何日続けただとか、
ランチの金額に、
ランニングの距離や頻度まで、
何でもかんでも数字で管理して、
数字に支配されている気がする。
「数字を積み上げることが目的なの?」
いや違う。
「満たされること」が目的なのだ。
それだけは忘れないようにしないと、
数字の魔力に支配されて、
その積み重ねにしか価値を感じられなくなってしまったら、
おそらくそれ以外の喜びを手放してしまうことになるのだろう。
どちらを取るか。
その答えは明白だ。
数字との距離感を考えないといけないな。
いつだって人は見失ってしまうのだ。
誰かと比べるためのわかりやすい材料、
そんなものに踊らされて、
大事なことまで忘れてしまう。
自分の価値は自分で決めてあげないと、
数字に自分の価値を委ねたところで、
満たされるのはその数字が有効な間だけ、
本質的に自分を満たしてあげる材料にはならないのだ。
もっと心を大事にして、
もっと体を大事にして、
数字よりも大切なものへ目を向けて、
そうやって生きていたい。