「恋愛感情」ってやつは厄介なものだから、
いともたやすく不合理を受け入れる理由になる。
こんな記事を見た。
仕事をやめてパチプロになる夫、
うつになってまでそれを支える妻、
とても良かった夫婦仲に亀裂が入る。
それでも妻は別れる気はないという。
「年を取ってからも、
手をつないで歩けるような仲でいたい」
健気にそう主張する。
誰から何を言われようとも、
二人の間には理屈では説明できないような絆があるのだろう。
それは同性の間にも生まれるものかもしれないけれど、
「性の自尊心」を満たしてくれるものだから、
異性とのほうが生まれやすい。
人は「居場所」を求めて生きている。
どのような「居場所」であっても必要とされている限りは、
「居場所」がないよりはマシなのだ。
男は「性欲を満たすために女性を道具として見る」
女性は「不安を解消するために男を道具として見る」
それが男女間における不誠実の病理だ。
だけれどもそれがあるからこそ、
ある種の依存関係を築くのかもしれない。
「別れればいいのに」
100人が100人そう言ったとしても、
当人同士が満たされていればそれでいいのだ。
その「居場所」が心地よいのだろうから、
だから、
「男女のことは当事者にしかわからない」
意見を求められてもいないのに、
とやかく言うのは無粋というもの、
自立できる人は自立すればいい。
だけれども、
ある種の依存関係の中で、
生きることだって幸せの形なのだ。
使い古された表現だけれども、
「人は不完全だから伴侶を求める」
誰かの役に立つことで、
足りないところを埋めるのだ。
隙間から吹き込む風はとても寒くて、
一人では耐え難い。
だからその隙間を埋めるのだ。
そうして風の吹き込まない、
居心地の良い場所が生まれる。
同居人に多少の難があったとしても、
その環境を手放すことなどできない。
そういうものなのかな。
「見えない気持ち」
「気が付かない気持ち」
「不確かな気持ち」
男女の間にはそんな感情が満ち溢れている。
そしてお互いの選び取った気持ちが一致しないと、
関係が先に進むことはない。
なんとも因果なものだ。
男女がつながることって、
決して必然ではなくて、
もしかしたらとんでもない奇跡なのかな。
私がうまくいかないわけだ。
それってとても難しいことなのだ。