「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

老後にばかりお金を使っている

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私はだいぶ堅実な生活をしている。

少なくとも経済的には、

 

先のことばかり考えているのかな。

いつまで生きているのかもわからないのにね。


アプリで家計簿をつけながら、

クレジットの明細なんかとにらめっこして、

普段はあまりお金のかからない生活をして、

平均を大きく超えるような額を積み立てて、

そんなことばかりしている気がする。


便利な世の中だ。

スマホ一つで収支は一目瞭然になる。


羽目を外すことは少ないけれど、

人付き合いにお金は惜しまない。


物欲はあまりないけれど、

「愛」や「ぬくもり」や「つながり」は欲しいのだ。


そういうものも今は自粛しているものだから、

支出は目に見えて減っている。


加えて将来の予定は全くない。

お金で色欲を満たすような勇気は持ち合わせていない。

だから今は特に「老後のため」にしかお金を使っていないのだ。


「人としての責任」


生命保険の営業さんは、

よくそういう言葉を使うけれど、

お金を残すことが「人としての責任」なのかな。


老後のためのお金は、

仮に私が早くこの世からいなくなっても、

私に責任のある人のもとに向かうのだろう。


それならば私はきっと、

「人としての責任」を十分に果たしていることになる。


いい年して未婚で子供もいないけれど、


先のことにばかり目を向けて、

備えて、備えて、

お金のことについてはそうやって生きているな。


「何のために生きているのだろう」


満たされない期間が続くと、

なんだかそういうことを考えてしまう。


結婚して子供を育ててって、

とても大変だしリスクの大きいことなんだろうけれど、

直近で未来につながる明確な支出の宛があるって、

幸せなことなのかもしれない。


結局、人はいつまで経っても、

ないものねだりなのかな。

 

少なくともこのまま将来への状況が変わらなければ、

老後にお金に困ることはなさそうだ。

健康に働き続けられればということだけれども、

 

そんな儚い安心と引き換えに、

どこか欠落感を抱えながら生きる。

それもまた人生、

 

どのような状況になっても、

その形にすっぽりとハマって、

喜びを見いだせることができたならば、

きっとこの世界は輝いて見えるのだろう。

 

全ては心一つ、

私の心がどちらの方向を向いているのか。

希望に胸を踊らせながら生きたい。

 

悲哀や感傷なんて、

主食ではなくスパイスなのだ。

人はスパイスだけを食べて生きていくことはできないのだから、