先日の記事に書いたけれど、
近頃の若者は超感覚の天才が世に出やすい反面、
「手を放す」ことの早すぎる人が多いように感じる。
物心ついた時から多様な価値観に触れて、
目の前には「無限の可能性が広がっている」と信じている。
そうやって爆上げされた、
「幼稚的全能感」ってやつを信仰の対象にして、
「苦労」から逃げ続けて大人になる。
だから自分を天才だと思い続ける。
そういうことなのかな。
「無限の彼方へさあ行くぞ」ってさ。
バズ・ライトイヤーだって、
自分がおもちゃであることを悟ったときに、
爆上げしていた「全能感」を捨てることに苦労したのだ。
それを捨てきれないまま、
年だけ重ねて大人になってしまうと、
大人になってから「全能感」を大きく傷つけられた時に、
「取り返しがつかない」と思い込み再起不能となる。
「情報過多」により、
「幼稚的全能感」を助長する時代、
なんでもかんでも、
「夢」や「希望」を煽りすぎなんじゃないかな。
「若者には夢を追ってほしい」
それは夢を追い続けることができなかった大人のエゴだ。
もちろん夢を追いかける期間は大事だ。
その期間を経ないで大人になっても、
どこか厭世的で魅力のないニヒリストが生まれるだけ、
「子供でいられる期間」
それは大人になってからは手に入らないもの、
子供だけの特権だ。
赤ちゃんプレイに目覚めてしまったところで、
それを受け入れてくれるのは、
お金を払って仕事として受け止めてくれるプロフェッショナルだけ、
「子供」が「大人」を気取ることはできても、
「大人」が「子供」に戻ることはできないのだ。
だから「子供でいられるうち」は、
思う存分、子供のままでいて欲しい。
そして徐々に「全能感」を手放していくのだ。
「子供」をやり切って、
「子供」に飽きてしまって初めて、
「大人」になりたいと思う。
そうやって「大人」を目指していく。
それが健全な「発達」なんじゃないのかな。
今の時代はさ。
本当の意味で、
子供が子供のままではいられない時代、
子供と大人の境目がはっきりせずに、
年端もいかぬまま「大人」にならざるを得ない子供もいれば、
いつまで経っても「幼稚的全能感」を捨てきれずに、
「子供」でいたがる大人もいる。
「発達障害が増えている」なんて言うけどさ。
私は「脳の気質」よりも、
よほど「社会の在り方」に問題を感じる。
「空気を読みすぎる子供」
「博士ちゃん」だなんて、
大人顔負けのプレゼンをする子供たちがいるけれど、
「すごいなぁ」と思うと同時に不安になるのは私だけだろうか。
急にできることが増えすぎてしまうと、
それに心が追い付かなくなってしまう。
そして「できない」ことを、
必要以上に恐れるようになる。
できないのが当たり前、
できなくても許される。
それが「子供」って期間なんじゃないかな。
その期間をすっ飛ばしたところで、
老後はまた「できないのが当たり前」になっていく。
「手放すスキル」
それを培ってこなかったから、
「手放さざるを得ない時期」になって、
初めておかしなことになる。
人間、出来ることなんて限られているのだ。
できることだけを精いっぱいやればいい。
子供として全力で生きて、
大人としても全力で生きて、
そして初めて人として全力で生きられるんじゃないかな。
いつだって、
目の前の課題が大事なのだ。
それと逃げずに向き合えば、
自然と答えは出てくるはず、
雲を掴むような希望に、
気持ちを引きずられ続けてもいけないし、
一度も希望を抱かないまま、
世の中をわかった気になったところで、
生きている実感を得られない。
人生を地道に積み重ねるしかないのだ。
体と同じように、
早すぎもせず、遅すぎもせず、
心を培うことが大事、
成長過程では気がつかない。
後になってから気がつくことなのだけれども、