私はよく「人は居場所を守るために必死になる」
そういう表現を使う。
それに必死になるあまり、
周りのことを考える余裕をなくす。
そうやって人は堕ちていくのだ。
ここでいう「居場所」
「自分の存在を周りが認めてくれる場所」
そんなところだろうか。
私の「居場所」
ある面では地獄のような環境だ。
それと同時にある面では「ぬるま湯」だ。
仕事での「役割」は確保している。
そしてその「役割」は卒なくこなしている。
私生活は一人だから、
口出しされることはほとんどない。
コロナ禍になってからは特にそう。
一人で過ごす時間が増えた。
だけれどもその反面、
「私のやり方」が間違っていたとしても、
それを指摘してくれる人はいない。
表面上うまくいっていれば、
凶兆を孕んでいたとしても、
何事もないように進んでいくのだ。
そして私はそのことに気が付かない。
ペルソナを使い分けて、
「コミュニケーションコスト」を操って、
関係を取捨選択する。
そうして私は「ぬるま湯」を作り上げている。
「このままではダメになるな」
ふと、そう考えることが増えた。
「もともとダメだろ?」って、
そういう意見は置いておこう。
「努力していないと自分を認めてあげられない」
私は私のことをそう認識している。
「努力中毒」で「努力依存症」なのだ。
そこに手を付けていかないと、
いつまで経っても「満たされない」
そういうことになるのかな。
「先に進んでいる実感がない」
だからその実感が欲しくて、
ゲームに費やす時間が増えた。
ゲームはいい。
費やした「努力」や「時間」に比例して、
概ねきちんと先に進んでくれる。
そうやって「先に進んでいる」
そう錯覚することで自尊心を満たすのだ。
おまけにコミュニティに貢献すれば、
「居場所」まで確保できる。
「運」の要素をふんだんに盛り込み、
報われた時の快感を増幅させる。
射幸心を煽るだめに作り上げられた、
何ともよくできたソリューションだ。
だけれども、
「人生」はそうはいかないことばかり、
積み上げた努力が水の泡になることも珍しくないし、
理不尽に晒されることも多い。
文句を言ったところで、
そのバグに対応してくれる運営はいない。
自分で対処しないといけないのだ。
自分の意志で始めたつもりは全くないのに、
気が付いたら始まっていて、
途中でやめることは困難だ。
バグや裏技ばかりが横行していて、
ルール通りにプレーしていたら損をする。
常に周りと自分の立ち位置を伺って、
たった1つの順位の差だけで、
その後の環境が極端に変わってしまう。
一度大きく順位を落としたら、
先行者の妨害に晒されて、
もう一度順位を上げることは容易ではない。
それでもプレーし続けないといけないのだ。
「人生」って名前のフィールドに、
「居場所」を確保するために、
プレーし続けないといけないのだ。
エンディングに後悔だけはしたくないな。