ちょうどこの頃だ。
5年前の夏、私は退院をした。
2週間に及ぶ長い入院だった。
「メメント・モリ」
間違いなくそれを実感する一つの体験だった。
当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかったのだ。
私の体がいつ機能不全を起こすのかはわからない。
私の最後がいつ訪れるのかはわからない。
それを感じる経験だった。
あれから5年が経った。
ブログの毎日連続更新は、入院していた際に始まったものだから、ブログの連続更新日数は、ちょうど入院してからの私の歩みを示している。
この5年間で、私の人生は一変した。
おそらく良い方向に。
私は私のことを諦めなかった。
そのことが今の私にたどり着いた一番の要因なのだろう。
私は幸せものだ。
妻と出会うことができたのだから。
悩みは尽きないけれど、底の部分に安心感がある。
いくら土台の上に多くのものを積み上げようとしても、土台に穴が空いていたら、そこから積み上げたものが漏れてしまう。
それが土台の下で澱のように積み重なって、呪いに変わる。
「努力は報われない」「望みが叶うはずはない」
負の感情は、気がつかないうちに、見えないところでどんどん積み重なって、やがて目に見える世界までを侵食していく。
ある時に爆発する。顕在化した時には手遅れだ。
人類のためにゲロ雑巾を飲み続けた、『呪術廻戦』の夏油さんのように、気がつかないうちに心を蝕んでいき、一度行動に移したら、取り返しのつかないことになる。
自分が必要とされている世界が一つでもあれば、人はそれだけで救われる。
例え、その場所が人道に反した場所だったとしても、人は居場所の無いことに耐えることはできないのだ。
だから、居場所があるというだけで人は救われる。
それと同時に、居場所が一つしかないのであれば、それにしがみつくためになんでもする。
居場所を守るために、なんでもできてしまうのだ。
「強く儚いもの」
人間を表したCoccoさんの曲のタイトルは絶妙だと常々思う。
だいぶ話が逸れた。
『呪術廻戦』の話ではない。私の話だ。
何度もつぶれそうになりながらも、私はなんとか前に進み続けてここまで来た。
そして一つの居場所にたどり着いた。
そして、厚薄はあれど幾つもの場所を築いてきた。
だから、私は幸せものなのだろう。
悠々としていれば良い。
課題が山積みであったとしても、それらを悠然と見下ろして、優先順位を見定めながら、悠々とこなしていけば良い。
私の居場所は一つではないのだ。
一つくらい失ったところで、惜しむ必要はない。
それくらいドッシリと構えて、私は悠々と進むのだ。
これからの5年間は、そうでありたい。