「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

5年前の夏、私は退院した

 

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ちょうどこの頃だ。

5年前の夏、私は退院をした。

2週間に及ぶ長い入院だった。

 

メメント・モリ

間違いなくそれを実感する一つの体験だった。

当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかったのだ。

 

私の体がいつ機能不全を起こすのかはわからない。

私の最後がいつ訪れるのかはわからない。

それを感じる経験だった。

 

あれから5年が経った。

ブログの毎日連続更新は、入院していた際に始まったものだから、ブログの連続更新日数は、ちょうど入院してからの私の歩みを示している。

 

この5年間で、私の人生は一変した。

おそらく良い方向に。

 

私は私のことを諦めなかった。

そのことが今の私にたどり着いた一番の要因なのだろう。

 

私は幸せものだ。

妻と出会うことができたのだから。

 

悩みは尽きないけれど、底の部分に安心感がある。

いくら土台の上に多くのものを積み上げようとしても、土台に穴が空いていたら、そこから積み上げたものが漏れてしまう。

 

それが土台の下で澱のように積み重なって、呪いに変わる。

「努力は報われない」「望みが叶うはずはない」

負の感情は、気がつかないうちに、見えないところでどんどん積み重なって、やがて目に見える世界までを侵食していく。

 

ある時に爆発する。顕在化した時には手遅れだ。

人類のためにゲロ雑巾を飲み続けた、『呪術廻戦』の夏油さんのように、気がつかないうちに心を蝕んでいき、一度行動に移したら、取り返しのつかないことになる。

 

自分が必要とされている世界が一つでもあれば、人はそれだけで救われる。

例え、その場所が人道に反した場所だったとしても、人は居場所の無いことに耐えることはできないのだ。

 

だから、居場所があるというだけで人は救われる。

それと同時に、居場所が一つしかないのであれば、それにしがみつくためになんでもする。

居場所を守るために、なんでもできてしまうのだ。

 

「強く儚いもの」

人間を表したCoccoさんの曲のタイトルは絶妙だと常々思う。

 

だいぶ話が逸れた。

『呪術廻戦』の話ではない。私の話だ。

 

何度もつぶれそうになりながらも、私はなんとか前に進み続けてここまで来た。

そして一つの居場所にたどり着いた。

そして、厚薄はあれど幾つもの場所を築いてきた。

だから、私は幸せものなのだろう。

 

悠々としていれば良い。

課題が山積みであったとしても、それらを悠然と見下ろして、優先順位を見定めながら、悠々とこなしていけば良い。

私の居場所は一つではないのだ。

一つくらい失ったところで、惜しむ必要はない。

 

それくらいドッシリと構えて、私は悠々と進むのだ。

これからの5年間は、そうでありたい。