人と人との間に対立があった時、
可及的速やかに「話し合い」をするべきである。
人は自衛のために「自己正当化」を行う生き物、
時が経てば経つほどに、
双方が「自己正当化」の方向に思考を進めていって、
その間の距離はどんどん離れていく。
「正義は我にあり」ってさ。
どっちも譲らないようになってしまったら、
あとは「関わることを辞める」か「とことん闘う」しかない。
前者であれば「繋いできた関係性」を一つ失うし、
後者であれば双方大きな損失を生む結果となるだろう。
だから一にも二にも「話し合い」が必要なのだ。
独善的になってしまう前に、
血の通った「すり合わせ」が必要なのだ。
自らの非を詫びると共に正当性を主張する。
誤魔化すことのない真摯な気持ちでその場に臨む。
利害ばかりを先行させず、
互いがそのように「話し合い」の臨めば、
多くの場合で何かしらの成果を生むだろう。
「話し合い」に持ち込まないということは、
コスパが悪いのだ。
どんどんどんどん気持ちが離れていって、
下手をしたら「報われない気持ち」が「憎しみ」に変わる。
一度「憎しみ」が芽吹いたら、
その芽を摘むのは困難なことだ。
何をされてもイライラするし、
存在を認識するだけで嫌悪が生じる。
何をされても、
何をされなくても「嫌い」
存在そのものを肯定できなくなるのだ。
だから気をつけなければならない。
そうやって「憎しみ」に塗れて、
自分の人生を傷つけてしまう前に、
何らかの手を打たなければならないのだ。
どんどんどんどん相手が嫌いになる。
そして、どんどんどんどん自分が嫌いになる。
もはや、一切関係を断つしかない。
自分の人生を傷つけてもいいことはない。
「自己正当化」の先にあるものは、
「自己嫌悪」なのだ。
もはや「正義」なんてものはどこにもない。