面白い記事を見た。
表題はその中で出てきた表現、
なんとも腑に落ちる言葉だ。
感情表現の苦手な人ほど、
短絡的な表現でその気持ちを吐き出してしまう。
生じた「違和感」をうまく言語化できないのだ。
だから「バカ」だとか「死ね」だとか、
安易に相手を全否定できる言葉、
人格否定の表現を多用する。
それが軋轢を生み、
相手の感情を逆撫でる。
「嫌い」
一度そう思ってしまうと、
早めに手をつけないと手遅れになる。
「負の感情」ほど増幅しやすいのだ。
初めは大したことなかったとしても、
その感情はどんどん育っていく。
「気まずい」
そう思って避けているうちに、
相手の「嫌い」も増幅していく。
きっとそういうものなのだ。
だから初めから、
しっかりとした自己認知をできていれば、
自分の感じる「違和感」を、
誤解なく相手に伝えることができる。
そうすれば、
あまりこじれることはないんじゃないのかな。
何もそれは「語彙力」だけではない。
ぶつける相手のことをどう思っているのか。
それによって大きく左右される。
優しい言葉が甘やかしになることもあれば、
厳しい言葉が相手のためになることだってある。
始まりはいつだって、
「すれ違い」
距離が近くなり過ぎた分、
相手に対する期待は大きくなる。
だから「わかって欲しい」って、
相手にエスパーみたいな能力を期待しても、
土台無理な話だ。
どんなに深い関係になったところで、
相手は「あなただけ」を見ているわけではない。
自分の課題があって、
苦しみがあって、
生き方がある。
それをねじ曲げてまで、
「私だけを見て欲しい」
その関係に先はあるの?
互いが適切な距離を探り合う。
そしてちょうどいいところで折り合う。
言葉を選び合う。
夫婦であっても、
恋人であっても、
どんなに分かり合えていると思っても、
相手は自分とは別の人格で、
自立した個人なのだ。
そのことを忘れてしまうから、
自分に都合の良い道具のように見てしまうから、
だから傷つけてしまうんじゃないのかな。
近過ぎても、遠過ぎても、
人は人を人として見なくなってしまう。
「同化」してもいけないし、
「記号」に変えてもいけない。
ただ相手も自分と同じ、
「脆くて弱い生身の人間」
その共通項だけは忘れてはいけない。
ベースにそれがあるだけで、
許すことができるし、傷つけることは減る。
そういうものなんじゃないかな。
Mrs.GREEN APPLE『ロマンチシズム』
愛を愛し、恋に恋する。
僕らはそうさ。人間さ。