全ての感情に理由をつけようとして、
動機ばかりに目を向けてしまうと、
全てが打算的に思えてしまう。
「理屈では説明できない感情」
そう思うのならばそのままにしておけばいい。
その感情に無理に名前を付けようとして、
「醜さ」を浮き彫りにしたところで、
得るものなど大してないのだ。
「美談」で片づけてしまったほうが、
よほど「生きる活力」になる。
「性善説」
「性悪説」
それぞれの立場があるけれど、
私の立場は「無色透明説」
「縁」に触れて、
人は「善」にも「悪」にも変わる。
「悪意」に触れれば黒く染まりやすく、
「善意」に触れれば光り輝くこともある。
人の気持ちなんて不確かなもの、
とても移ろいやすいのだ。
「憎しみは連鎖する」
よく言われることだけれども、
その通りだと思う。
どこかでグッとこらえて「悪意」を飼いならす。
その連鎖にピリオドを打つ。
「絶対に許さない。だけれども殺さない」
『鋼の錬金術師』で、
両親を殺された少女が、
その敵を目の前にして言った言葉、
黒く染まることは止められない。
だけれどもその連鎖を断ち切ることはできる。
「許せない」
それは仕方がない。
だけれども報復をしない。
言葉にするのは簡単だけれども、
実際にはこれほど難しいことはない。
だけれども、
そこに身を投じる覚悟、
そういうものに生き様が現れるのかな。
人生なんてものは、
所詮「悪縁」との戦いなのだ。
それに流されてしまうことは簡単だけれども、
自らの内に倫理と道徳を打ち立てて、
それに従い生きられるかどうか。
「死ぬ直前に後悔しない」って、
その積み重ねなんじゃないかな。
だから自分を嫌いになるような選択はしない。
そう思って生きてはいるけれど、
人は安易な方向に流されやすいものだ。
どうにも課題を先延ばしにしてしまう。
私がまず向き合うべき課題ははっきりしている。
私の「惨めさの象徴」
二股クソ女だ。
その気配を感じるだけでイライラする。
無駄に消耗して関係ないところにまで支障が出る。
もはや私の中では「例外」扱い。
「誠実さ」の対象外としているけれど、
それに対してもどこかでモヤモヤしているのだ。
私は彼女に甘えている。
とても癪だけれどもそういうことだ。
「生理的に無理」
そういうレッテルを貼って、
イライラの原因やうまくいかない責任を彼女に押し付けている。
自分の未熟さから目を背けるための絶好の隠れ蓑、
だからいつまでも成長しない。
「絶対に許さない。だけれども憎まない」
今の私の立ち位置は、
私の積み上げてきたものの上にある。
だけれども目の届く範囲には、
これ以上積み上げるものが見当たらない。
「誰かのせいにして保ってきた自尊心」
そろそろ両手でしっかりつかんでいる、
その隠れ蓑を捨ててさ。
いつまでも端っこで見えない未来に怯えていないで、
自分の人生に責任を取らないといけないんじゃないかな。
どこまで行っても主体は自分自身、
人間の善悪をいくら論じたところで、
人はどちらにも傾くのだ。
軸足をどこに置いているのか。
その基準はこれまで何に心を動かされてきたか。
それが「縁」ってやつ、
人は「経験」を信仰する。
愚直なまでの誠実さに心を打たれるのか。
それとも不実に味を占めた高揚感を信仰するのか。
私は幸い前者に傾いたのだろう。
少なくとも今のところは、
だけれども、
いつ後者に傾くとも限らない。
そうならないように、
「憎まない」のだ。
憎しみの先に待ち受ける結果、
たとえ成果を上げたとしても、
そんなものは大したものではない。
それよりも大事な事、
自分を嫌いにならないようにしないといけないな。