「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「性善説」でも「性悪説」でもない

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全ての感情に理由をつけようとして、

動機ばかりに目を向けてしまうと、

全てが打算的に思えてしまう。


「理屈では説明できない感情」

そう思うのならばそのままにしておけばいい。


その感情に無理に名前を付けようとして、

「醜さ」を浮き彫りにしたところで、

得るものなど大してないのだ。


「美談」で片づけてしまったほうが、

よほど「生きる活力」になる。


性善説

性悪説


それぞれの立場があるけれど、

私の立場は「無色透明説」


「縁」に触れて、

人は「善」にも「悪」にも変わる。


「悪意」に触れれば黒く染まりやすく、

「善意」に触れれば光り輝くこともある。


人の気持ちなんて不確かなもの、

とても移ろいやすいのだ。


「憎しみは連鎖する」


よく言われることだけれども、

その通りだと思う。


どこかでグッとこらえて「悪意」を飼いならす。

その連鎖にピリオドを打つ。


「絶対に許さない。だけれども殺さない」


鋼の錬金術師』で、

両親を殺された少女が、

その敵を目の前にして言った言葉、


黒く染まることは止められない。

だけれどもその連鎖を断ち切ることはできる。


「許せない」


それは仕方がない。

だけれども報復をしない。


言葉にするのは簡単だけれども、

実際にはこれほど難しいことはない。


だけれども、

そこに身を投じる覚悟、


そういうものに生き様が現れるのかな。


人生なんてものは、

所詮「悪縁」との戦いなのだ。


それに流されてしまうことは簡単だけれども、

自らの内に倫理と道徳を打ち立てて、

それに従い生きられるかどうか。


「死ぬ直前に後悔しない」って、

その積み重ねなんじゃないかな。


だから自分を嫌いになるような選択はしない。


そう思って生きてはいるけれど、

人は安易な方向に流されやすいものだ。

どうにも課題を先延ばしにしてしまう。


私がまず向き合うべき課題ははっきりしている。


私の「惨めさの象徴」

二股クソ女だ。


その気配を感じるだけでイライラする。

無駄に消耗して関係ないところにまで支障が出る。


もはや私の中では「例外」扱い。

「誠実さ」の対象外としているけれど、

それに対してもどこかでモヤモヤしているのだ。


私は彼女に甘えている。

とても癪だけれどもそういうことだ。


「生理的に無理」


そういうレッテルを貼って、

イライラの原因やうまくいかない責任を彼女に押し付けている。


自分の未熟さから目を背けるための絶好の隠れ蓑、

だからいつまでも成長しない。


「絶対に許さない。だけれども憎まない」


今の私の立ち位置は、

私の積み上げてきたものの上にある。


だけれども目の届く範囲には、

これ以上積み上げるものが見当たらない。


「誰かのせいにして保ってきた自尊心」


そろそろ両手でしっかりつかんでいる、

その隠れ蓑を捨ててさ。


いつまでも端っこで見えない未来に怯えていないで、

自分の人生に責任を取らないといけないんじゃないかな。

 

話が逸れた。
性善説」と「性悪説」の話だったな。


どこまで行っても主体は自分自身、


人間の善悪をいくら論じたところで、

人はどちらにも傾くのだ。


軸足をどこに置いているのか。

その基準はこれまで何に心を動かされてきたか。

それが「縁」ってやつ、


人は「経験」を信仰する。


愚直なまでの誠実さに心を打たれるのか。

それとも不実に味を占めた高揚感を信仰するのか。


私は幸い前者に傾いたのだろう。

少なくとも今のところは、

 

だけれども、

いつ後者に傾くとも限らない。


そうならないように、

「憎まない」のだ。

 

憎しみの先に待ち受ける結果、

たとえ成果を上げたとしても、

そんなものは大したものではない。

 

それよりも大事な事、

自分を嫌いにならないようにしないといけないな。