どこまで行っても追いかけてくる。
どこに隠れてもすぐに見つかる。
心にふたをしてさ。
二度と出てこないように注意深く閉じ込めたって、
どこから抜け出してきたのか。
気がつくと目の前に現れる。
そして逃げようとして振り返ると、
そのまた目の前に現れる。
逃げることなどできないのだ。
「忘れないでよ」って、
「忘れたふりをしないでよ」って、
「本当は気がついているんでしょ?」って、
目の位置にある、
目のカタチをした空洞、
それが力強く訴えかけてくる。
ちょっとしたホラーよりも恐ろしい。
「無意識」ってやつ、
どこかで向き合わないといけないのだ。
意識しないようにすればするほどに、
ますます意識するようになる。
何か別の幸せで、
上から覆い隠したところで、
見えないところで育ち続けている。
そしてその存在に耐えられなくなって、
それと向き合いだしたところで、
簡単に折れてはくれないのだ。
どんどん蓄積された澱のようなもの、
それを少しずつ、
ゴシゴシと丁寧に磨いて落としていく。
少しずつでいい。
少しずつでいいからさ。
過去の自分を許してあげようよ。
惨めでみっともなくてさ。
バカでアホでドジでまぬけで、
救いようのないクズかもしれないけれどさ。
そいつを許してあげられなかったら、
いつまでも自分を好きになってあげられないよ。
たくさん努力して、
ここまで色々なものを積み上げて来たのにさ。
向き合うべきものと向き合わなかったらさ。
これから先、
いくら努力をしたところで、
自分を好きになってあげられないよ。
「許し方」
時間をかけて、
「これでもか」というくらいに、
向き合うしかない。
「夢」はきっと、
そのための大事な手がかりなのだ。
睡眠が苦手になってしまって、
もう4年以上向き合っているけれど、
私はまだ許せていない。
まだまだ時間がかかるのかな。
自分の弱点は、
自分が一番よく知っているから、
痛いところばかりをついてくるのだ。
強かでもっとギラギラしていて、
理想に燃えていた私、
まだそういうところはあるかもしれないけれど、
基本的に「できない人が悪い」と思っていた。
「努力が足りない」のだと上から見ていた。
だから自分がメンタルやってしまって、
できなくなったときに思い知った。
「誰もが目に見えない色々な事情と向き合って、
今ここで生きているんだって、
必死に生を繋いでいるんだって」
視野が狭かったのは私だ。
今では痛みに敏感になってしまった。
弱くて脆くて怯えてばかり、
だけれども、
他人の痛みにも敏感になれたのかな。
痛みを悼む。
多くの物を抱え込む人生、
天童荒太『悼む人』
たしか直木賞作だ。
ずいぶん昔に読んだけれど、
最近頭に浮かぶ本、
再読の時期なのか。