「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「騙される人」と「騙されない人」

f:id:tureture30:20200831062427j:image

 

世の中にはわかりやすいステマが横行している。


SNSでの拡散」なんていう、

一発逆転のビッグチャンスが広がっているものだから、

とりあえずの方法としてそういうことをしてみるのだ。


その結果として、

世論を意図する方向にもっていければ万々歳だ。


軽妙な営業トークや、

特別感を煽るようなダイレクトメール、


中身を紐解いてみると、

そのほとんどは「利」のあるものではない。


「無駄なこと」は、

市場原理によって淘汰されていくはずだから、

それらが当たり前のように横行しているということは、

「騙される人」が一定数いるということだろう。


「人の心」なんてものは千差万別だ。

「考え方」なんてものも無数にある。


人は「経験」を信仰する生き物だから、

負ってきた「傷」や、掴み取った「喜び」


そういうものを材料にして、

「価値観」を作り上げる。


「騙される人」


今まで「騙された経験のない人」なのかな。

もしくは「騙されていてもその自覚のない人」

あるいは「騙された経験を信仰の対象にしない人」

だろうか。


「痛み」


それは「傷」を忘れないための自己防衛本能だ。

そこからさらに傷つかないために「痛み」を発し続ける。


「自分の痛みに鈍感な人」


「傷ついていること」に気が付かないのだ。

それどころか自分から傷つきに行く。

「生きている実感」を感じることができないから、


「痛み」を血肉にする作業ってさ。


大きな苦しみが伴うもの、

それに血肉にしたところでさ。

「痛み」が消えてくれるわけではない。


時が経つにつれて、

その間隔は広くなるのかもしれないけれど、

事あるごとに思いだしては「ズキズキ」と痛む。


「私を忘れないで」って、

いつまでも「ズキズキ」と痛むのだ。


「騙されない人」


いつまでも「痛み」を感じ続けている人なのかな。


生きていればさ。

「傷」はどんどん増えて、

その一つ一つが事あるごとに「痛み」を発してくるけれど、

その「痛み」と共に生きることが「人生」なのかな。


この「痛み」は私だけのもの、

 

その「痛み」を人に伝えることはできるけれど、

全く同じに感じてもらうことはできない。


消えることのない「痛み」を感じながらも、

「心から信頼できる人」と共に寄り添い、

なんだか「むずがゆくて」「痛気持ちいい」


そんな人生でありたい。


「痛み」がクセになってしまわないように、

気をつけないといけないけれど、