「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

希死念慮

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「そちら側」と「こちら側」


目には見えない「境」があるのだ。


だけれども、

それは目に見えないだけで、

そこかしこに散らばっている。


「たった一本の線」


隔てるものは、

あってないようなものだ。


だから、

ふとした拍子にその線を越えてしまう。


越えるために力を加える必要はない。

ただ何かの弾みで越えてしまうのだ。


多くの人は「死」というものを、

何か特別なことのように捉えているけれど、

裏を返せば「生」だって特別なことだ。


「輪廻」というものが存在するのならば、

「生」よりも「死」のほうが、

期間が長いのかもしれない。


だから「死にたい」って言葉、


誰だって一度や二度は思うだろう。

朝昼晩って毎日何度も思う時期だってある。


「軽く死ねる」だなんて、

ファッションみたいな使い方をしたりもする。

 

その言葉に対してさ。
そんなに過敏にならなくてもいいんじゃないかな。


「死にたい」って言葉がさ。

心の支えになることだってあるんだよ。


「死にたい」って言葉がさ。

「死にたい」って思っている自分に残してあげる、

最後の逃げ道なのかもしれない。


辞表を忍ばせて出勤するサラリーマン、

その精神安定作用と同じでさ。

逃げ道があるから頑張れることもあるんだよ。


「人は強く儚い生き物」


どんなに弱音を吐いたところで、

どんなに自分を卑下したところで、

どこかで自分に「期待」しているのだ。


「未来は良くなるかもしれない」って、

どこかで期待しているのだ。


「生きていれば良いことがある」


そんな安易な慰めは私には言えないけれど、

例え良いことがなくたってさ。


「良いことがあるかもしれない」って、

そう思って生きること自体に価値があるんじゃないかな。


「期待を裏切られること」

そのことに慣れてしまえばいい


いちいち傷ついてやるからさ。

「期待すること」が怖くなるんだよ。


うちの子、

亡くなった実家の愛犬なんてさ。


私が何かを食べているとさ。

人間のご飯なんて一度ももらったことはないのにさ。


いつだって期待に胸を膨らませた表情で、

飛びついてきたりなんかしてさ。

「ちょうだい」ってねだってくるんだよ。


今まで一度ももらったことがなくたってさ。

「これはあげられない」って何度伝えたってさ。


何度も何度もさ。

「今度はもらえるかもしれない」ってさ。

期待して寄ってくるんだよ。


人間だって、

そういう生き方でいいんじゃないのかな。


胸の奥底に微かに光る「期待」にしがみついて、

必要以上に努力するでもなく、

必要なことをさぼるでもなく、

ちょうどいいくらいにチューニングしてさ。


「いつかは良いことがあるかもしれない」って、

期待に胸を膨らませながら生きていればいい。


どれだけ報われなくたって、

私は「期待すること」を止めたくはない。


きっとそれが「生きる」ってこと、