「繁殖」するまでにたくさんの理由をつける。
その時点で繁殖力は大いに制限される。
つがいになるまでにかかる時間は無駄に長く、
いくつものプロセスを経てようやく一緒になる。
大抵はそのプロセスの間にうまくいかなくなる。
うまくいくまでに生物として、
繁殖力のピークを過ぎていくのに、
相手に望むものばかりが大きくなる。
需要と供給の乖離は広がって、
つがいのできる確率は下がる一方だ。
つがいになったらなったで駆け引きを続けて、
道具を使って進んで繁殖を制限する。
多くの生物はさ。
繁殖期を迎えると、
相手は選ぶのかもしれないけれど、
本能に従って繁殖する。
もちろん道具を使って制限することなんてない。
そもそも行為自体がさ。
「繁殖を目的としない行為」自体がさ。
本当に必要なものなのかな。
「本能」からの司令を受けて、
したくなる。
だけれども「理由」をつけて制限する。
避妊が違法になったとしたら、
この世の中はどのように変わるのだろう。
少子化は一気に解消されるのかな。
それとも行為自体をあまりしなくなるのかな。
「理性」と「本能」
今の人類はそのどちらが勝つのだろうか。
だいぶ「理性」が幅を利かせてきたけれど、
おそらくまだまだ「本能」が勝つのだろう。
「いつ死ぬかもわからない」
「野生の世界」はそんな生存競争だ。
かたや「人間の世界」では、
命を保証されていることがほとんどだ。
少なくとも繁殖に適する年代のうちは、
命を失うことなんて多くの人が考えないだろう。
なんだかんだで、
人は「希望」を糧に生きている生き物、
心のどこかで自分の将来が光り輝くことを信じている。
だから「いつかでいい」って先延ばしするのだ。
そして「いつか」と思っているうちに、
ボーナス期間は過ぎてしまうのだ。
「今は夢中になっていることがある」
「生活を変えたくない」
「もっといい相手が現れるかもしれない」って、
「理由」をつけて、
どんどん後回しにするのだ。
結局人間はさ。
「生物」としては、
説明のつかない存在なのだ。
「理性」と「本能」の間で折り合いをつけてさ。
「繁殖を目的としない行為」を繰り返す。
コミュニケーションの一種?
優秀な異性を繋ぎ止めるため?
ただ単に欲求を満たすため?
それともお金を稼ぐため?
行為そのものの目的が変わってしまったのだ。
「繁殖を目的としない行為」
そこに生まれる価値、
それは経験のない私にはわからないことだ。