「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ブログに対する態度」の変化

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どこか宙ぶらりんな感じ、

「空気のような存在」と言い換えられるのかもしれない。

 

少し前までは「ブログを書くこと」は自分と向き合う作業だと捉えていた気がするけれど、今はそういう感覚は薄れている。

 

私にとっての「ブログ」

どこか曖昧な存在へと歩みを進めている。

 

書く内容はスポイルされている気がするし、文字数も少しずつ減ってきている。

新たに記事を書くスピードより、過去に書き溜めてきた遺産を食い潰すスピードが上回っている。

 

このペースだとおそらく年度末、

1300日連続更新を迎えるあたりにはストック切れを起こすだろう。

 

そうなった時に、私はどのようにブログと向き合うのか。

「変化」を求めて始めたブログ、

求めていた通り、今年は転職という形で大きな変化を享受した年となった。

 

この3年あまり、

当初からの課題としている「女性関係」の方は、紆余曲折を経て、結局はチャンスを逃し続けて何も変わらずに今に至る。

 

デートを重ねた回数だけは実績として積み上がるものの、関係がそこから先に進むことはなかった。

 

生活の中でアプローチらしきものも何度か受けた。

その度に「自分の気持ち」と「相手との関係性」だなんて、難しいことを考えてはフラグをへし折って、ここまでたどり着いたのだ。

 

私は「結婚を望む」としながらも、心の底ではもしかしたらそれを望んでいないのではないか。

そう思うほどに「逆張り」をし続けて、奇跡的に誰とも結ばれなかった。

 

「ここまでいってうまくいかないのか」

客観的な意見を聞いてもそういうことばかりが続いた。

私がここに至る確率は、もしかしたら宝くじを当てられるほどのものなのかもしれない。

 

難を逃れてきたような感覚、

私は逃げ続けてきたのかもしれない。

私と恋愛というものは、とことん相性が悪いのだろう。

 

「誠実さ」

 

自分の気持ちの出どころが「誠実なもの」なのか。

相手との関係が進みそうになるたびにそれを吟味してしまう。

 

相手の心を求めているのか。

それとも「利己的な遺伝子」の働きにより、

相手の体を求めているのか。

 

そんなことばかり考えてはチャンスを逃す。

何度も書いてきたけれど、私の恋愛はその繰り返しなのだ。

 

3年あまり、さんざん書き連ねてきたけれど、結局は何も変わらない。

少し前までは共に相手を探していた仲間たちは、次々にライフステージを進めていった。

 

仲間内で結婚を望んでいたけれど、結婚に至っていないのは私だけ、

おそらく私はそういう人種なのだろう。

そう受け止めるようになってきた。

 

だから「ブログに対する態度」

それもどこか淡白なものになっている。

 

私は私の将来を、3年前ほど「希望に満ちたものに変えられる」と信じていないのだ。

 

その分、「人類の未来」に想いを馳せる。

自分は遺伝子的に世界から淘汰されたとしても、人類の未来は明るいものであってほしい。

そう思うようになったのかもしれない。

 

人は人生に「意味」を求めて生きている。

 

私は遺伝子を残せない代わりに、そのような願いを持つことで、種に貢献しようとしているのだろう。

 

どこまで続くのかはわからないけれど、

ブログのテーマは一貫して「私と世界との関わり方」

 

ブログに対する向き合い方が、そのまま私の世界に対する向き合い方なのかもしれない。

 

私のブログはどこかに到達するのだろうか。

そんな気は全くしない。

 

私は世界とどう向き合えば良いのだろう。