どこか宙ぶらりんな感じ、
「空気のような存在」と言い換えられるのかもしれない。
少し前までは「ブログを書くこと」は自分と向き合う作業だと捉えていた気がするけれど、今はそういう感覚は薄れている。
私にとっての「ブログ」
どこか曖昧な存在へと歩みを進めている。
書く内容はスポイルされている気がするし、文字数も少しずつ減ってきている。
新たに記事を書くスピードより、過去に書き溜めてきた遺産を食い潰すスピードが上回っている。
このペースだとおそらく年度末、
1300日連続更新を迎えるあたりにはストック切れを起こすだろう。
そうなった時に、私はどのようにブログと向き合うのか。
「変化」を求めて始めたブログ、
求めていた通り、今年は転職という形で大きな変化を享受した年となった。
この3年あまり、
当初からの課題としている「女性関係」の方は、紆余曲折を経て、結局はチャンスを逃し続けて何も変わらずに今に至る。
デートを重ねた回数だけは実績として積み上がるものの、関係がそこから先に進むことはなかった。
生活の中でアプローチらしきものも何度か受けた。
その度に「自分の気持ち」と「相手との関係性」だなんて、難しいことを考えてはフラグをへし折って、ここまでたどり着いたのだ。
私は「結婚を望む」としながらも、心の底ではもしかしたらそれを望んでいないのではないか。
そう思うほどに「逆張り」をし続けて、奇跡的に誰とも結ばれなかった。
「ここまでいってうまくいかないのか」
客観的な意見を聞いてもそういうことばかりが続いた。
私がここに至る確率は、もしかしたら宝くじを当てられるほどのものなのかもしれない。
難を逃れてきたような感覚、
私は逃げ続けてきたのかもしれない。
私と恋愛というものは、とことん相性が悪いのだろう。
「誠実さ」
自分の気持ちの出どころが「誠実なもの」なのか。
相手との関係が進みそうになるたびにそれを吟味してしまう。
相手の心を求めているのか。
それとも「利己的な遺伝子」の働きにより、
相手の体を求めているのか。
そんなことばかり考えてはチャンスを逃す。
何度も書いてきたけれど、私の恋愛はその繰り返しなのだ。
3年あまり、さんざん書き連ねてきたけれど、結局は何も変わらない。
少し前までは共に相手を探していた仲間たちは、次々にライフステージを進めていった。
仲間内で結婚を望んでいたけれど、結婚に至っていないのは私だけ、
おそらく私はそういう人種なのだろう。
そう受け止めるようになってきた。
だから「ブログに対する態度」
それもどこか淡白なものになっている。
私は私の将来を、3年前ほど「希望に満ちたものに変えられる」と信じていないのだ。
その分、「人類の未来」に想いを馳せる。
自分は遺伝子的に世界から淘汰されたとしても、人類の未来は明るいものであってほしい。
そう思うようになったのかもしれない。
人は人生に「意味」を求めて生きている。
私は遺伝子を残せない代わりに、そのような願いを持つことで、種に貢献しようとしているのだろう。
どこまで続くのかはわからないけれど、
ブログのテーマは一貫して「私と世界との関わり方」
ブログに対する向き合い方が、そのまま私の世界に対する向き合い方なのかもしれない。
私のブログはどこかに到達するのだろうか。
そんな気は全くしない。
私は世界とどう向き合えば良いのだろう。