「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ちゃんとした人」過ぎて居心地が悪い

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何事にも「あそび」というものが必要だ。

何かあったときのために余白を残しておく。


そこまで計算して生きて初めて、

「大人」になれるのかもしれない。


ドレスコードのあるようなレストラン、


「居心地が悪い」


それが日常に溶け込んでいるような人ならば、

そんなことはないのかもしれないけれど、

庶民には敷居の高いものだ。


周りは大して気になどしていないのだろうけれど、

「マナーやしきたり」

暗にそういうものを求められているようで、

そこに気疲れしてしまうのだろう。


それと同じように「ちゃんとした人」

そういう人といっしょにいると、

気疲れしてしまうのかな。


だから「ちゃんとしていた」としても、

プライベートな場では、

「ちゃんとしていない」ように見せる。


そういう親しみやすさを醸し出すことも、

重要なスキルなのだろう。


「ちゃんとした人」過ぎて居心地が悪い。


先日まで会っていた女性から、

そのようなニュアンスのことを言われた。


彼女から見たら、

私は色々と「こだわり」があるようだった。


「感性だけで生きている」と自負していた彼女、

その目から見て窮屈だったのだろう。


ビジネスならば、

適度に「道化」を演じて懐に入りつつも、

その後の「パリッと」した感じがちょうどいいのかもしれないけれど、

私の性質は恋愛には向かないのだ。


食べ物の感想を伝えたら「食レポみたい」

野球の話をしていたら「解説者みたい」

本の話をしていたら「頭良さそうですね」って、

10個も年上なのだから、

それなりに積み重なるものはあるだろう。


「歳の差は気にしない」と言いながらも、

「感覚の違い」は感じていたようだ。


結局は3回ほど会って、

「ちょっと違う」

そう言って彼女は去っていった。


私が目指すべきは「濡れせんべい」か。


見た目は美味しそう。

一口目から噛みやすい。

加えて噛めば噛むほど口の中に味が広がる。


まさにお米と醤油のハーモニー、

優先席を前にしてお米と醤油が席を譲り合っているうちに、

目的地までついてしまった感じや~。


とまあ、

私の「食レポ」の実力はこんなものだ。


それとも、

私は私を「正露丸」のように甘い衣で包むべきなのだろうか。


舐めずに飲み込んでもらえれば、

苦味を感じさせることなく、

関係を進められるのかもしれない。


中の味がわからなくても、

飲み込んでしまえば、

そんなものはどうでもいいのだろう。


口に入れるまでに十分見た目を確かめて、

口に入れてからも十分に味を確かめて、

その結果、ようやく飲み込む。


飲み込んだ結果、

中毒症状を起こさなければ「結婚」に至る。


「婚活」って、

そういうものなのかな。


会えるところまで行くことは多い。

2度目につながることもそこそこだ。

 

それならば、
私はおそらく「味」に問題があるのだろう。

「性格に難がある」ということだ。


それって割と致命的、


私が求めるような相手からは、

私の性格は求められていない。


「ちゃんとしている」


人として「ちゃんとしたい」と思って、

誠実であるように努めてきたけれど、

結局、多くの女性は「自分がいないと生きていけない」

そういう手のかかる男を「居場所」として求めているのかな。


フェリーニの映画『道』


どんなに蔑ろにされても、

ザンパノから離れられなかったジェルソミーナ、

何度も離れるチャンスはあったのに、

離れることはできず心を壊してしまった。


人は「居場所」がないことに耐えられないから、

必要とされていれば、

どんなに辛い環境にもしがみつくのだ。


そして宿主は、

それを担保にして支配者を気取る。

失って初めてその存在の大きさに気がつく。


結局は「共依存

互いが互いを「居場所」にしている。

 

それが短絡的に見れば、

「恋愛」ってやつなのかもしれない。


自立したもの同士の恋愛、

 

そういうものに憧れを抱いてきたけれど、

私は結局は「男としての自尊心」を満たしたいだけなのかな。

 

そのくせ、

妙にインテリぶって、

哲学の真似事にばかり興じている。

 

問題はきっと私にあるのだ。