「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「世界」ってものはもっと緻密で繊細なもの

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年を取るにつれて、

「世界」のことをわかったような気になっていく。


だけれども、

それは「自分」というフィルターを通して見える自分が作り上げた「世界」


都合の良いものしか目に入らないように、

自分で自分に「目隠し」した上で見える、

そんな「世界」なのだ。


年を取るほどに、

「目隠し」の仕方がうまくなる。


そして、

「目隠し」をしていることまで忘れてしまう。

 

アイマスクの都合の良いところにだけ、

小さく穴を開けちゃってさ。

そこから見える「世界」が全てだと思い込む。

 

「見える世界」が全て、

「見えない世界」の存在を認識しようともせずに、

自分が「世界」を支配したような気になって、

横柄な態度を取るようになって、

どんどん「世界」から嫌われていく。


「世界」ってものはさ。

そんなに簡単に理解できるものではないんじゃない?


見える範囲は狭まる一方だから、

持て余した視野を自分の内面にばかりに向けてさ。

周りの人達にも、

自分と同じように脆くて弱い「心」があることを忘れてしまう。

 

「世界」から嫌われている理由も考えないでさ。

 

足りないものばかりに目を向けては、

「自分は報われない」って、

ネガティブな方向にばかり引きずられていく。


見える範囲を拡大するだけでも、

また違う「世界」が顔を出す。


結局はただ頑張らなくていい「理由」をつけて、

「今の自分」を正当化したいだけなんじゃないかな。


行き詰ったら見方を変えてみればいい。

「世界」の見え方なんてものは無数にあるのだ。


安易に「もう終わりだ」って言うけれども、

どこかで将来に期待しているから、

予防線を張っているだけなんでしょ。

 

「本当の終わり」まで何をするか。

 

人生を嘆く暇があるならば、

今日1日何を成すか。

そのことにだけ集中していれば良いんじゃないのかな。

 

その積み重ねが「生き様」というやつ、

 

愚痴だらけの人生、

成し遂げた人生、

それを選ぶの自分自身、


深く生きれば生きるほどに、

「世界」は緻密で繊細に見えてくるのだ。

 

どうせならば私は、

細部までしっかりと「世界」ってやつを見てみたい。

 

マクロよりもミクロ、

全体像よりも構成要素、

 

私は「世界」のそっちの方に、

興味関心があるのかもしれないな。