「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ポエマー」という言葉に含まれる侮蔑について思うこと

f:id:tureture30:20201224063653j:image

 

私は世間一般でいうところの、

「ポエマー」に属するのだろう。

 

ブログの世界では恥ずかしい文章を惜しげもなく披露している。

そしてそこに心地よさすら感じている。


英語で詩人を表す言葉は「poet」

「ポエマー」という言葉は和製英語らしい。


そこに込められる侮蔑、

「痛い人」的な意味合いだろうか。


だけれども私に言わせれば、

「痛い人」にもなれないで、

自分の脳内を世界に晒す意味があるのだろうか。


ブログ執筆の目的は人それぞれ、

そしてブログを読む目的も人それぞれだろう。


私は「痛い人」としてブログを書いていて、

「痛い人」のブログを読むのが好きだ。


新海誠言の葉の庭

「人間なんてみんなどこかおかしい」


それを隠すのがうまいか下手か。

「痛い」か。「痛くない」か。

おそらくそれだけの違いなのだろう。


自分のおかしなところを隠して、

それがバレやしないかとビクビクしながら過ごす。


みんなそうやって生きているのだ。


だけれども、

気をつけなければならない。

 

アウトプットを癖にしてしまうと、

ふとした時に「道化」に成り下がっていることに気が付く。

自己開示の閾値が低くなってしまうのだ。


「世間との乖離」

人は理解できないものを恐れる。


私は自己開示によるメリットは、

そのデメリットを凌駕すると思っているけれど、

世間ではあまりそう思われていないようだ。


自分の「恥」や「傷」

リアルでそういうものをさらけ出すと、

逆に不審に思われることもあるだろう。


結局、

人は皆「ペルソナ」を被っていて、

腹の探り合い、

化かしあいの中で生きているのだ。

 

だからオープンであることを「異質」に感じる。

 

「気持ち悪い」

 

そうやって理解できない怖さを緩和するために、

敢えて自分の下に置こうとするのだ。

 

それが「ポエマー」に対する侮蔑の正体なんじゃないかな。


世界はどこに進んでいくのだろう。

心のうちをさらけ出すこともできずに、


言葉や態度を信じることができなくなって、

数字がものをいう世界になるのかな


「信じること」を恐れるあまり、

人は人を人として見なくなる。


誰もが「ありのまま」でいたいはずなのに、

どうにもそうはいかないみたいだ。

 

ポエムも書けないような人間が、

いくら「自分探し」と称して旅をしたところで、

「新たな自分」に気がつくことができるのかな。

 

「自分」は自分の内側にいるのだ。

 

私は「私と世界との関わり方」

そんなテーマでブログを書き続けている。

 

一人で海外に行ったり、

宿も決めずに一週間ほど一人で放浪したこともあるけれど、

ブログを書き続けている方が、

よほど重要な発見がある気がする。

 

「痛い人」にもなれないで、

ただ「痛い人」を嘲笑する。

そういう表現力の足りない人たち、

 

「怒り」や「侮蔑」の影には、

必ずコンプレックスが隠れている。

 

きっと「痛い人」にもなれないから、

「痛い人」のことが羨ましいのだろう。