「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

自分を客観視することに慣れた「新人類」

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私はブログを通して自分の内面を、

「これでもか」というくらい晒している。


だけれども、

外面については晒していないし、

晒すつもりもない。


「YouTuber」という人種、

彼ら、彼女らは自分の外面を晒している。


「インスタ」やら「TickTock」もそうだろう。

もちろん外面を晒さないタイプもいるけれど、


その工程の中には「編集」というものがあり、

その作業を通じて、

自分の外面を嫌というほど客観視するのだろう。


それってすごいことだ。


誰もが手を挙げればタレントになれる。

そういう世界だ。


ここ最近はビジネスもオンライン化が進み、

自分の外面を見る機会はかなり増えたけれど、

私は私の映像や音声を客観視する機会はあまりなかった。


いや、むしろ増えたことによって、

自意識が芽生えたのだろうか。


「人から見た自分」

想像と違うところがたくさんある。


声一つとってもそうだし、

話し方や何気ない仕草、


そういうものの中に相手を和ませたり、

逆に不快にさせたりするものがあるのだろう。


「YouTuber」

 

彼ら、彼女らは日常的に、

自分の醸し出すそれらを分析していることになる。

それって大きなメリットだ。


先日、知り合いの子供と話す機会があった。


デュエルマスターズに夢中な小学2年生、

カードを色々と見せてくれたけれども、

私にはよくわからなかった。


将来の夢を聞いてみたら、

Vtuber」になりたいとのこと、

 

顔出しはしたくないみたいだけれども、

その世界への憧れがあるようだ。

おすすめの動画なんかを色々と教えてくれた。


子供たちの興味がこれからの時代を作る。

「そういう時代なんだな」って思った。


だからこれからは、

カタチは変われど誰もが当たり前のように、

表現者」になるのかな。


「パーソナリティの肥大化」


人を記号として扱わないように、

それには気を付けないといけないけれど、

そういう社会になれば個人の能力は飛躍的に伸びる。


「自分の頭で考えられない」

そういう人種は淘汰されるのだ。


今後10年で多くの職種が淘汰される。

そういう試算を見ることが増えたけれど、

あながち間違いではないのかもしれない。


「新人類」


ある意味ブロガーは片足突っ込んでいる。

自分の言葉で何かを綴ること、


そこに身振り手振りや声色、

そういうものまで加えた「表現者

「プレゼンのスペシャリスト」が労働市場に溢れてくるのだ。


表現者」としてもう一歩階段を昇るには、

外面的に自分を客観視する経験、


私にはそういうものが必要なのかな。


内面のメタ認知は嫌というほど続けている。

やりすぎて自分を嫌いになってしまいそうなくらいだ。


だけれども「自分の客観視」

いわば外面的なメタ認知

それは明らかに不足していると感じる。


オンライン化の流れはいい機会だ。

私は私がどう見られているのか。

そのことに目を向けるようになった。


「新人類」に対抗すべく、

少しはそういうことを意識したいと思う。