「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

毎日メッセージをやり取りしているけれど

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毎日メッセージをやり取りしている女性がいる。

だけれども会うことはできない。

 

緊急事態宣言下ということはあるけれども、

本当にそれだけなのだろうか。

 

どこか心ここにあらず、

そんな様子がうかがえる。

そしてそれは私も同じ、

 

連絡は向こうから来た。

異性とつながっている感触が欲しいのだろう。

そしてそれは私も同じ、

 

「寂しさ」を埋めるための道具、

お互いがお互いをそのように使っている。

 

利害関係の一致、

 

ある意味では「結婚」というものも、

同じなのかもしれないな。

 

だからこのフワフワした関係の延長線上にあるもの、

結果はそこにあるのかもしれない。

 

この年になってくると、

目的がはっきりしているのだ。

 

女性から見れば「減点評価」で進んでいって、

及第点を維持していれば合格となる。

そしてどこまでもその評価方式は続いていく。

そんな品定めの仕方、

 

「結婚」してからも減点は止まらず、

それではどこまで行っても妥協でしかない。

 

「人の心」というものは、

そんなに簡単に割り切れるものなのかな。

 

人並みに経験を積んできたのならば、

「もういいや」って、

そういうものなのかもしれない。

 

だけれども私には経験が足りないのだ。

だから「恋愛」に多くを求めてしまう。

 

どこかで妥協しないといけないのかな。

 

「気持ちの通じ合う関係」というものは、

若いうちにしか構築できないものなのかな。

私は多くを望みすぎているのかもしれない。

 

変に「モテ期」を経たものだから、

望んで努力すれば希望は叶うって、

妄想ばかり膨らませて、

結局はいくつもチャンスを逃し続けてきた。

 

そうして一人で迎える自粛期間、

手元には何も「育むもの」がないのだ。

 

だからメッセージのやり取りをして、

何かを「育んでいる気」になる。

おそらく相手も同じなのだ。

 

一昔前の私ならば、

きっとこう思ったはずだ。

「その関係の先に未来はあるの?」って、

 

だけれども、

「未来はある」のかもしれない。

 

その先にある「結婚」というものだって、

どこか私が「憧れ」を抱いていただけで、

憧れるほどのものでもないのだから、

 

手に入らなければ入らないほど、

時間をかければかけるほど、

人はそのことに執着するようになる。

そして多くを求めるようになる。

 

虚像ばかりが大きくなって、

実像は遠ざかるばかり、

 

どこかで折り合いをつけて、

「これくらいかな」って妥協して、

その中で生きていくしかないのかな。

 

「好意」

 

それは少しばかりの燃料にはなるかもしれないけれど、

その「多寡」で未来が決まるわけではない。

 

互いが妥協した先に広がる道だとしても、

その先に「不幸」が待ち受けていると決まったわけではない。

進んだ先がどうなるかは当人たち次第なのだから、

 

私はただ、

好きあって結ばれたいだけなのに、

それはなんて難しいことなのだろう。