スマホ一つあれば何でも買える時代、
コロナ禍の影響もあるのだろう。
非接触型の決済が急速に広がっている印象だ。
大手のチェーン店は軒並み何らかの電子決済に対応している。
対応していないチェーンを探すほうが難しいくらいだ。
思い返してみて、
ここ最近で現金を使ったのは、
理髪店と郵便局くらい。
月に一度かあっても二度くらいか。
財布はメンバーカードや診察券のために持ち歩いているようなものだ。
もはやカードケースに変えてもいいくらい。
決済だけでなく、
注文もスマホ一つでできる。
先日はマクドナルドのモバイルオーダーを使ってみた。
PayPayと連動していて、
クレジットカードを登録しなくても決済できる仕組みだ。
私の場合は徒歩圏内に店があるので、
家で決済をすると取りに行く頃には出来上がっている。
並ばずに受け取って帰るだけだ。
サードパーティのクーポンは使えないみたいのは残念だったが、
世の中便利になっているのだなと感じた。
不思議な世の中に向かっている。
資産が「物」ではなくなるのだ。
個人的な感覚かもしれないが、
通帳に並んでいる数字からはまだ「お金の匂い」がしたけれど、
アプリに表示される残高から「お金の匂い」はしない。
私は「お金」を「お金」だと実感することなく、
消費行動を続けている。
ケチで倹約化で、
男のくせに家計簿までつけている私だ。
もさ消費のコントロールは習慣になっている。
だから使いすぎるということはないけれど、
「お金の重み」というのだろうか。
質量を感じないものだから、
「稼いでいる感覚」もなければ、
「使っている感覚」もない。
ただ数字の増減を管理しているだけ、
「お金」も「本」も「CD」も、
みんな形を失っていく。
次は何が無くなるのだろうか。
そのうち体まで無くなってしまって、
精神だけで生きていくようになるのかな。
「無駄なもの」から感じる趣き、
すべてのことを合理化してしまったら、
人には何が残るのだろう。
使い所を失って、
財布の中に貯まっていく一方の小銭を眺めながら、
そんなことを考えた。