「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

現金を使わなくなった

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スマホ一つあれば何でも買える時代、


コロナ禍の影響もあるのだろう。

接触型の決済が急速に広がっている印象だ。


大手のチェーン店は軒並み何らかの電子決済に対応している。

対応していないチェーンを探すほうが難しいくらいだ。


思い返してみて、

ここ最近で現金を使ったのは、

理髪店と郵便局くらい。


月に一度かあっても二度くらいか。

財布はメンバーカードや診察券のために持ち歩いているようなものだ。

もはやカードケースに変えてもいいくらい。


決済だけでなく、

注文もスマホ一つでできる。


先日はマクドナルドのモバイルオーダーを使ってみた。


PayPayと連動していて、

クレジットカードを登録しなくても決済できる仕組みだ。


私の場合は徒歩圏内に店があるので、

家で決済をすると取りに行く頃には出来上がっている。

並ばずに受け取って帰るだけだ。


サードパーティのクーポンは使えないみたいのは残念だったが、

世の中便利になっているのだなと感じた。


不思議な世の中に向かっている。

資産が「物」ではなくなるのだ。


個人的な感覚かもしれないが、

通帳に並んでいる数字からはまだ「お金の匂い」がしたけれど、

アプリに表示される残高から「お金の匂い」はしない。


私は「お金」を「お金」だと実感することなく、

消費行動を続けている。


ケチで倹約化で、

男のくせに家計簿までつけている私だ。

もさ消費のコントロールは習慣になっている。


だから使いすぎるということはないけれど、

「お金の重み」というのだろうか。


質量を感じないものだから、

「稼いでいる感覚」もなければ、

「使っている感覚」もない。


ただ数字の増減を管理しているだけ、


「お金」も「本」も「CD」も、

みんな形を失っていく。

次は何が無くなるのだろうか。


そのうち体まで無くなってしまって、

精神だけで生きていくようになるのかな。


「無駄なもの」から感じる趣き、


すべてのことを合理化してしまったら、

人には何が残るのだろう。

 

使い所を失って、

財布の中に貯まっていく一方の小銭を眺めながら、

そんなことを考えた。