理由はわからないが、
最近1万円前後のものを買うことが多い。
そしてイベントごとに参加することも増えた。
振り返ると、これまでの私とはかなり違うお金の使い方をしていると思う。
もちろん消費は増えている。
特に「経験」にお金を支払う機会が増えたと感じる。
私に生じた変化、
それは「余裕がなくなった」ということなのかもしれない。
転職をしてから生活は慌ただしく変化した。
それまでは吟味してお金の使い道を考えていたように思うけれど、
今はあまり先のことを考えずに消費している気がする。
食費は嵩むし、娯楽費も増えた。
それまで理性で押さえ付けていたもののタガが緩んでいるのかもしれない。
それはそれで悪いことばかりではない。
新しい世界に足を踏み入れることで、新しい気付きは多かった。
もしかしたら、これまでの私は生活を整えてばかりいたのかもしれない。
特にコロナ禍になってからはそうだ。
友人と会う機会は制限されて、休日は画面とばかり向き合っていた。
今でもその傾向は変わらないけれど、前よりはだいぶ気持ちの面で緩和されたように思う。
久々に忘年会の予定が入ってきたり、混んでいるお店に足を運んでみたり、
新たな環境に身を置く刺激によって、
「何かを変えたい」という思いが行動に現れているのかもしれない。
「停滞感」を打ち破りたくて新たな環境に足を踏み出した。
それも落ち着いてくるとまた、別の新たなことを始めたがる。
いつまで経ってもその繰り返し、
私はとことん自分の将来に希望を見出しているのだろうか。
それとも、あまりにも一側面に囚われすぎて、先に進む感覚を実感できないのだろうか。
「人生は紙飛行機 願いのせて飛んでいくよ」
どこまで遠くに飛べたかよりも、どれだけ自分らしく飛べたかの方が大事、
そう考えると、もがき苦しみながらでも飛び続けることに価値はあるのかもしれない。
「消費」は自己肯定の一環でもある。
私に生じたお金の使い道の変化、
それは価値観の変化と言えるだろう。
私は自分を認めてあげられているのだろうか。
それとも、自分を認めてあげたくて必死にもがいているのだろうか。
今回の変化が何を象徴するものなのか。
その判断をしかねている。
私の紙飛行機はどこへ向かって飛行しているのだろうか。
それとも、すでに地面に着地しているのに、それに気が付かず風にたなびいているだけなのに、飛行し続けていると勘違いしているのだろうか。
もしもそうだとしても、たなびく風を感じている限りは、その風に乗って、もう一度青空へと羽ばたくこともできる。
長い人生だ。
羽休めが必要なこともある。
それでも風を感じて生き続けることが大事、
風を感じられなくなってしまったら、
生きているのか、死んでいるのかもわからなくなる。
消費が増えたことも、見方を変えれば肯定的に捉えることができるのだ。
貯金は十分にしている。
一人でお金の使い方を決められるうちは、好きに使えばいいのだろう。