『鬼滅の刃』にて富岡義勇さんの放つ強烈な言葉、
鬼になってしまった禰󠄀豆子、
それを「鬼殺隊」として始末しようとする富岡さんに、
禰󠄀豆子の兄である主人公の炭治郎は「殺さないでください」と懇願する。
すると富岡さん、
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と、
この言葉で炭治郎を叱責、
要は「お前に力がないから悪い」と言う意味だ。
それを聞いた炭治郎は、
差し違える覚悟で富岡さんに向かっていく。
敗れはしたものの炭治郎のその覚悟と、
禰󠄀豆子が鬼であるにも関わらず炭治郎をかばう姿に可能性を感じ、
二人を「鬼殺隊」へと育てるために手を回す。
『鬼滅の刃』の物語の始まりとなるシーンだ。
さて、この言葉、
現代の「働き方」に置き換えても的を得ているように思う。
「会社にしがみつく時代」は終わった。
社会情勢は大きく変わり、
大手企業も例外なく人員削減を進めている。
「君には辞めてもらうことにしたよ」って言われたら、
「殺さないでください」と嘆願したところで、
会社は富岡さんのように優しくはないのだ。
まさに「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」である。
「自分が力をつけなければならない」
結局はそういうことなのだ。
「定年」はどんどん先延ばしされていく。
それは雇用が保証されるという意味ではない。
自らの力で収入を得なければならない期間が延びるということだ。
なんとも世知辛いもの、
だけれども、世の中にはいくつになっても、
「請われてでもいて欲しいと思われる人」がいる。
そういう人たちは、
「身の振り方」を自由に選べるのだ。
即ち「生殺与奪の権を他人に奪われていない」ということ、
今の時代は若いうちから、
それを考えなければならないんじゃないのかな。
誰にでもできる仕事は、
そこから逃げきれる年齢の人たちは良いけれど、
今の20代、30代はAIとガチンコで勝負することになるだろう。
今から先のことを考えて働いておかないと、
将来、惨めな思いをすることになる。
「主体性を持つ」と言うこと、
自分の頭で考えて、
自分の言葉で話して、
自ら意思決定の働きかけを行っていく。
会社の言うことだけを聞いていれば将来安泰、
決してそんなことはない。
そもそもそういう社風の会社自体が安泰ではないのだ。
時代の変化は益々加速していく。
それに対応できる環境に身を置かないと、
淘汰されてしまうんじゃないのかな。
私の目から見てだけれども、
今の学生たちはそういうことを真剣に考えている。
中堅くらいの会社員のほうがよほど危機感がない。
変化を嫌って「ぬるま湯」につかっていたら、
取り返しのつかないことになってしまう。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
本当にその通りだと思う。
コロナのせいにしたところで、
政府のせいにしたところで、
最後は自分でなんとかしなければならないのだ。
心しなくては、