稀代の異色作『チェンソーマン』を読んで感じたこと

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先日記事にした『葬送のフリーレン』を抑えて、

宝島社が発表した「このマンガがすごい2021」で第1位に輝いた『チェンソーマン』

その第一部を読み終えた。

 

「このマンガがすごい」の詳細は過去記事にて、

tureture30.hatenadiary.jp

 

メタファー満載というか、

とんでもない異色の作品だ。

 

深く考えてみないと、

最後まで全く意味の分からないまま終わる。

 

この作品が評価されているのだから、

世の中の知的レベルの高さというか、

漫画における表現レベルの高さというか、

そういうものを実感する。

 

見方によればとても哲学的な作品だ。

 

己の「欲望」にどこまでも忠実に、

リビドーを糧に戦う主人公、

 

支配に甘んじてエディプスコンプレックスから脱却できない描写、

フロイト精神分析」を根幹に据えているようなストーリー、

 

とにかく浅い。

浅すぎる主人公、

 

孤児で教育を受けず、

家畜同然に育てられた背景を持つ、

「正義」を口にしない。

敢えて読者に共感させない。

 

ダークヒーローというのでもない。

ただ「欲望」に忠実なのだ。

ここまで信念というか、行動規範のない、

統合性の取れない主人公は珍しい。

 

だけれども、

それがかえって「人間の本質」を突いている。

 

マズローの5段階欲求にあるように、

人にとっての第一の欲求は「生存欲求」なのだ。

 そこが満たされなければ人間は次の段階には進めない。

 

「浅いようで深い」

 

どこかこの漫画に対して、

「語りたくなる」「筆を執りたくなる」

そういう魅力に包まれている作品だ。

 

原作はひとまず第一部完結という形をとったが、

アニメ化が決まっているらしい。

 

 この作品を映像化するのか。

これが果たして広く受け入れられるのだろうか。

率直にそんな感想を抱く。

 

「人間としての尊厳」

 

それを真っ向から否定するかのようなスタイル、

こと、少年漫画としては異色中の異色だろう。

 

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敵である「鬼」にまでストーリーを作り、

堕ちるまでの過程を丹念に描く「キャラクター愛」

 

主人公・竈門炭治郎の聖人のような慈愛で作品全体に包み込む、

そんな『鬼滅の刃』とはある意味で対極を行く作品だ。

 

人は生きるためだったら何でもする。

自らをゴミにまで貶めることも厭わない。

もともと「持たざる者」であれば尚更だ。

 

そんな愚直なテーゼ、 

 

だからこそ、与えてから奪い取る。

そうやって故意に絶望を生み出して支配の種を植えつける。

 

全てはシナリオ通り、

「悍ましさ」さえ感じるストーリー、

 

主人公の背景という点では類似点を感じる、

話題作となった映画『パラサイト 半地下の家族』

 

生きるために尊厳を捨て去って、

富豪をだまし寄生しながら生きる家族たち、

だけれども、最後まで「寄生虫」ではいられなかった。

 

場面が一転したあのシーン、

あれは「人間としての尊厳」を表しているのだろう。

 

生きるためとはいえ、

「尊厳を捨て去ることはできない」

 そんな声にならない叫び、

凄惨な中にもカタルシスを生み出すシーンだった。

 

だけれども『チェンソーマン』

主人公は最後まで「人間としての尊厳」を捨て切ったのだ。

この作品の「凄み」はそこにある。

 

少しネタバレになるけれど、

好いた女が「悪魔よりも悪魔」でも、

思考停止して支配されることを望む。

 

みんなから認めてもらいたい。

褒めてもらいたい。

自分を求めてもらいたい。

 

そんな感情を動機にしつつ、

割り切れない感情との間に揺れて、

その感情を一歩先に昇華させた主人公は、

「愛」ゆえに人肉を喰らうという選択をする。

 

ここまで共感できない主人公は、

かつて存在しただろうか。

 

だけれども、

最後に「たくさんセックスがしたい」

そう叫ぶ主人公の姿には、

何か響くものを感じてしまった。

 

「人間の本質」って「清くて浅ましい」

 

「狡猾さ」とは真逆に舵を切って、

「純粋さ」を通り越すと、

「浅ましさ」に辿り着くのだろう。

 

だけれども「純粋さ」ゆえにそれが許される。

大人が「子供を可愛いと思う」理由は、

そこからくるのかもしれない。

 

尊厳などあったものではない。

ただ欲望を満たすことに忠実、

 

主人公の姿を通して、

「理性を削ぎ取った人間」

そういうものを見事に描いている。

 

話題になればなるほど、

炎上を恐れてマイルドにまとめる作品が増えたからこそ、

この『チェンソーマン』はすごい。

 

ある恋愛漫画なんかは、

キャラクターの人気に押されて、

主人公とのカップリングを構想から変更しただとか、

もはや誰の作品なのかわからない。

 

その中で「ゴミ」

とまではいかなくても良くて「ペット」

そこに居心地の良さを感じる主人公、

 

「支配されていれば楽」だけれども、

その「支配」を乗り越えて、

「個」としての居場所が欲しい。

 

みんなから認めてもらいたい。

褒めてもらいたい。

 

そうやって人は自立していくのだ。

 

マキマは「グレートマザー」であると同時に父、

まさに「エディプスコンプレックス」だ。

 

チェンソーマン』

 

ある意味で現代社会が抱える、

「闇」に踏み込んだ作品なのかもしれない。

 

愛着障害

 

「過干渉」も「ネグレクト」も、

同じようにいい結果を産まない。

 

「子供の幸せ」よりも、

「自らの利害」を先行させているから、

 

「グレートマザー」

 

子供を育てる大人の責任って、

とても大きなものなのだな。

 

人の精神発達の過程を作品に落とし込んだ。

そんな印象だ。

 

とても考えさせられたと同時に、

頭がおかしくなりそうな作品だった。