私は女性に対して「支配的」なのだろう。
さんざん自分と向き合っては来ても、
本質的な部分はあまり変わらない。
「支配的」というのは言い換えれば「恐れている」ということ、
女性経験に乏しいことは、
私の中での大きなコンプレックスだ。
だからこそ「支配的」でありたがる。
そして「わかりやすい女性」が好き。
なんとも簡単なロジックだ。
もっと言えば「わかりやすく見える女性」が好き、
そういうことなのだろう。
支配しているつもりになっていても、
実際は支配されている。
夫婦関係ではよくあることだ。
男は単純だから、
心も体も気持ちよくさせてくれる女性が好き、
ただそれだけなのだ。
私は割と自分で何でも決める性格だけれども、
そこに対してのこだわりはあまりない。
ただ合理的だと思う方法を選択しているだけだ。
だから別のアプローチで、より合理的な選択があれば、その提案に従う。
争ってまで主導権を握ろうとは思わない。
人として間違ってさえいなければ、
どうぞ主導権を握ってください。
むしろ余計な手間が減り助かる。
そう考えているくらいだ。
尻に敷かれているほうが楽、
「家庭における男」なんてものは、
イザという時にだけ役に立てばいい。
そう思っている。
何が書きたいのかというと、
夫婦円満の秘訣は、互いのパワーバランスを保つことではなく、要は「心の問題」なのだ。
夫に「家庭を支えている」という実感があれば、
おそらくそれだけで満たされる。
そして妻にしたって、
別のアプローチであったとしても、
「家庭を支えている」という実感が必要だ。
実のところどちらが主導権を握っているかなんてどうでもいい。
家庭がお互いに「居場所」を実感できる場であれば、それだけでいいのだ。
少し前にやっていたドラマ『知ってるワイフ』
このドラマは、そこのところをうまく突いている。
どちらも良かれと思って、
精いっぱい「家族のため」に奮闘している夫婦。
その気持ちを互いが理解できないから不満につながる。
誰だって精神的に追い詰められれば、
冷静ではいられなくなるのだ。
そのストレスが恒常的になれば、
「私の人生を返して」って、
そういうことになる。
大事なことは「誰と一緒になるか」ではない。
「自分がどうなりたいか」だ。
私の場合は「支配的な性質」を持っていて、
それを完全に捨てることはできないだろう。
だから私を「支配している気にさせてくれる」
そういう女性と相性がいいのだろう。
実際には手のひらで転がされていてもいいのだ。
その点で私の母は、
実にうまく父を転がしている気がする。
父のどうでもいい「うんちく」に対して、
いちいちリアクションを取ってあげるのだ。
そして主導権は間違いなく母が握っている。
そういう姿を見ると、
父は幸せ者だなと感じる。
ここまで書いた内容を振り返ると、
私の希望がよくわからなくなる。
私は母のような人と一緒になりたいのだろうか。
うまいこと「いい気持ち」にさせてくれて、
難しいことを考えなくても、
確かな方向へと導いてくれる。
男が結婚相手に求めているのは、
「性行為をさせてくれるお母さん」
どこかでそんな揶揄を目にした記憶がある。
それは、あながち間違いではないのかもしれない。
だけれども、
女性の側からしたって、
結婚相手に父性を求めている節はあるだろう。
結局は、
お互いがお互いに身を預けたいと考えている。
それでいて一定の立場、
即ち「居場所」を求めている。
そのバランスのとり方が、
育ってきた環境が近いとスムーズにいくのかな。
「価値観が合う」というのは、
そういうことなのだろうか。