出だしの歌詞が秀逸すぎる。
何故なのこんなに幸せなのに
水平線を見ると哀しくなる
あの頃の自分を遠くで見ている
そんな感じ
ZARDの歌詞は、世界をとことん優しく見つめている。
それが坂井泉水さんの透明感と相まって、なんとも言えない「儚くも美しい世界観」を醸し出す。
心がきれいすぎると、
汚れた心に触れた時に、
一瞬で侵食されてしまうのだろうか。
それとも、
真っ白なシャツに飛び跳ねた泥のように、
点々と染み付いたところから、
徐々に広がっていくのだろうか。
イメージとしては後者だと感じる。
心のいろんなところにできたシミが、
「痛み」として人生に居座り続けるのだ。
キャンバスにできた「まだら模様」
白いところしか視界に入らない時期は、理想に燃えて前向きに生きることができるけれど、
飛び跳ねた泥の部分を見てしまうと、「こんなはずじゃなかった」って、
消えてしまいたくなるのかもしれない。
理想と情熱は「諸刃の剣」だ。
私が常々書いてきたこと。
「理想に燃えて前に進み続ける」
そういう時期があってもいい。
だけれども、人生はそれが全てではない。
そのことは理解しておかなければならない。
ルーレットを廻した先、
次に転がるマスは赤かもしれないし、黒かもしれない。
数字なんて予想すらつかないのだ。
次のルーレットを廻すまでは、辿り着いたマスで生きるしかない。
そしてまた、希望に満ちたスタートを切るのだ。
どんなマスに止まったところで、二人ならきっと大丈夫。
そう思える相手と手を取ることが大事。
「ずいぶんと先に進んでしまったな」
精神面でも、環境面でも、
私はずいぶんと進んでしまった。
衰えた体の対価として、
私が得たもの、
それは確かな歩みの中で、
私が掴み取ってきたものなのだろう。
だけれども、
ブログを始めた時のことを振り返ると、
私は、過去の自分に思いを馳せて、
少し「物悲しい思い」に苛まれるのだ。
何故だろう?
それは私にもわからない。
できなかった過去の自分。
弱かった過去の自分。
それを認めてあげることができたのかな。
私は私の過去を愛することができたのかな。
だから、
愛おしくなった「過去の自分」を、
見送ることの寂しさが、
押し寄せてくるのかもしれない。
残念ながら公式はなかったのでcoverで、
ボーカル若い方みたいだが、声が坂井泉水さんに似ている。