「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「男同士(ボーイズラブ)」に感じる嫌悪感

f:id:tureture30:20210126061144j:image

 

私は割と他人の「好み」に寛容なほうだと思う。


斬新な発想を与えてくれるので、

危害を加えられさえしなければ、

「おかしな人」のほうが好ましいくらいだ。


だけれども「男同士」

いわゆる「ボーイズラブ(BL)」というやつ、


それを好きな人がどうこうというわけではないけれど、

私自身どうにも受け付けないのだ。


それは私が男だからだろうか。


逆に「女同士」

いわゆる「百合」というものには、

どこか興味をそそられるものがある。

 

それは「当事者意識」を感じられないからだろうか。

 

最近タレントの方が「女同士」で合意なく手を出して、

PTSDを患った相手の方に訴えられるという事件が起きたようだ。

 

おそらく「当事者意識」を感じやすい女性からすれば、

「百合」も同じく嫌悪するものなのだろう。


それは「種の保存」という本能からくる、

遺伝子の指令なのだろうか。


それならば男である私も「百合」に対して、

同じように嫌悪が生じるはずだ。


何度か書いているけれども、

私はたまたま「女性が好きな男」というだけで、

巡り合わせによっては違っていたかもしれない。


「尊敬」が「好意」に変わる。

そういう経験は誰しも少なからずあるだろう。


「自分が女だったらこいつのことを好きになっただろうな」

私も小学生の頃にそう思った友人がいた。


だから「同性を好きになる」という感覚は理解できるけれど、

「行為」となると話は別なのだ。


冷静に考えてみると不思議な話だ。


「好意」の先に「行為」がある。

だいぶ冷めたとはいえ「純愛主義者」の私だ。

「好意」のない「行為」に対する嫌悪はあるはず、


だけれども、

「好意」があっても同性同士の「行為」

いや「女同士」は受け入れられるから「男同士」だけか。

それだけは受け入れることができない。


仮説を立てるならば、

「自己存在を脅かされることに対する恐れ」

私の中のそういう感情が「男同士」の嫌悪につながる。


ボーイズラブ」が広く理解されることにより、

ヘテロセクシャルである私の自己存在が否定された気になる。


人の怒りの矛先は、

大抵「自己存在を脅かすもの」へと向かう。

 

「世の中こうあるべき」だって、

そういう私の積み重ねてきた価値観を、

覆されようとしているのかも知れない。

 

さらにその考えが広まることで、

男である私に直接的な危害が及ぶかも知れない。

 

私はそれを恐れているのだろう。

だから私は「ボーイズラブ」に嫌悪を感じる。

そう考えると合点がいく。


もしも私が女だったなら、

これが逆になるのだろうか。


「BL」はいいけれど「百合」はダメ、

「百合」への嫌悪感は強いのだろうか。

BL好きの腐女子さんに聞いてみたいものだ。


そして「LGBT」の方が、

自分の所属するチームの描写を見た場合は、

「自己存在を肯定された気持ち」になるのだろうか。

 

さらには、

好んでそれらの作品に触れているのだろうか。


「男チーム」「女チーム」に分かれて、

チーム対抗戦に持ち込むからおかしなことになる。


そう結論付けたつもりだったけれど、

結局、私は「ジェンダー」にこだわっているのだ。


まだまだ興味は尽きない。

興味のあるうちはこだわっていればいい。

 

それも生きるための糧になるのだから、