いてもいなくても同じ、
「毒」にも「薬」にもならない。
かと言って命を繋ぐために必要な「水」というわけでもない。
組織が大きくなればなるほどに、
個人にフォーカスされにくくなる。
「ある場所」ではなくてはならない存在、
だけれども「ある場所」ではいてもいなくても変わらない。
そういうことは往々にしてあるものだ。
「首相」だとか「大統領」
大きな影響力を持っているように見えるけれども、
その裏ではたくさんの人が動いている。
結局は「集団の意見」を矢面に立って打ち出すシンボルのようなもの、
もしかしたら「国」で一番の権力者も、
「家庭」では居場所がないかもしれない。
「役割」ってものはさ。
「立場」によって、その顔を180度変えるもの、
だけれども「自分」にとっての「自分」
そこにはしっかりと「役割」を与えてあげないといけないんじゃないかな。
「自分」が「自分」に対して期待しなくなってしまったら、
何のために生きているのかわからなくなる。
自らの「感情」や「ストレス」をコントロールしようとしてさ。
「無害化」に躍起になる現代人、
その「無害化」の過程で「大事なもの」までフィルターにかけてはいないだろうか。
「居場所」があるってことはさ。
「役割」があるってことはさ。
期待してくれる相手がいるということ、
ろ過する過程で、
「ストレス」と同時に、そんな「期待」まで取り除いてしまったら、
手元には何が残るのだろうか。
「人畜無害」
「無害化」しすぎて、自分にとって自分がいてもいなくても変わらない。
そうなってしまったら元も子もないのだ。
「最適化」しすぎると「生きがい」すら見失う。
もしかしたらこの先は「無駄なもの」が価値を持つようになるのかもしれない。