「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

おかしいのは「世界」か「自分」か

f:id:tureture30:20210628060035j:image

 

「パーソナリティが肥大化した時代」


その象徴的ともいえるテーゼだ。

「世界を疑う人」が増えたように感じる。


少なくとも江戸時代までの日本は、

明確に身分が決められていて、

「お上の意向は絶対」だから、

ただ言われたとおりに生きていればよかったのだ。


そしてそれは維新後も続き、

大戦の導火線とも無関係ではないだろう。


そして戦後の日本人もまた、

その民族性を捨て去ることはできず、

社畜」という形で士官先への忠誠を誓う。


今の時代は「情報」は一庶民にまで開かれて、

個人間での「情報格差」は格段に少なくなった。


だから「数字」の持つ力は大きくなり、

その「数字」が世論の象徴として鎮座する。


だから「政府」にしたって、

それを無視することはできなくなり、

「数字の奴隷」としての色彩を強めてきたし、

世論を軽く見た権力者たちは次々と失脚していく。


本当の意味での民主主義って、

もしかしたらこういうことなのかな。


いや、なんだか違う気がするな。

拭えない違和感、

これではアイドルの人気投票と変わらない。


「政治」が「生活」に密接にかかわるという実感の希薄さ、

おそらくそこに病理があるのだろう。


だからみんな「政治」からはそっぽを向いて、

「生活」に密着した「会社」なりに依存先を求める。


それも一回りしてしまったものだから、

「自らのパーソナリティ」に従って、

アイドルやらYouTuberやら、

いわゆる「推し」に依存先を求める。


結局は「人の本質」が変わったわけではなく、

変わったのは「生活に根差したもの」


それがあまりにも多様化しているのだ。


だから「おかしい」ってことについても、

その基準が「あいまい」になっている。


「おかしい」


おかしくない人間なんていない。


みんな着ぐるみ着てさ。

「おかしくない」ように見せているだけ、


見えないところでは、

恥ずかしい姿であんなことやこんなことをして、

変なものに興奮することもあるだろう。


さも常識ぶっている堅物のあの人も、

優等生キャラで清純派を気取っているあの女優だって、

みんなどこか「おかしい」のだ。


みんながこれまでの経験から何かしらの依存先を見つけて、

みんながそれに右往左往して生きている。


「価値観」だとか「生きざま」だとか、

場合によっては自分の外にあるものに対しても、


自分が何を感じて、

それによってどう生き方を変えるのか。

そしてその先にあるものにどう責任を取るのか。


「おかしい」か「おかしくない」か。

そんなことはどうでもいいのだ。


自分だっておかしければ、周りだっておかしい。

おかしい人たちの作り上げた世界だからおかしくないはずがない。


なんでもかんでも「おかしい」「可笑しい」って、

笑いながら過ごしていればいいのだ。


おかしな「自分」がおかしな「世界」の中で、

どう「可笑しく」生きていくのか。


それが人生の醍醐味なのかもしれない。