「人の不幸は蜜の味」
そんな野次馬根性により関心は高まる。
私もそれに乗っかって記事を書いているわけだから、同じ穴の狢だ。
ジャニー喜多川氏の性加害問題。
当事者たちだけの問題に留めておけばいいはずなのに、どんどん飛び火して、タレント、引いてはファンにまで大きな影響を与えている。
ジャニーズ事務所に求められていることは、再発防止と被害者に対する救済であるはずなのに、救済するべき被害者たちにも二次被害が及んでいる実情。
ジャニーズ事務所の社名変更を受けて、
民放各社は、こぞって無難な声明を出す。
これは「責任逃れ」に映る。
唯一、東京新聞だけがメディアとして「自ら課題に向き合っていなかったことに対する反省を述べる」という態度をとったようだが、メディアの態度は概ね「他人事」である。
ジャニーズというものは、もはや日本のエンターテインメント業界では社会的インフラと言えるほどの影響力を持っている。
それを長いこと扱ってきたメディアにも、責任の一端はあるのではないだろうか。
自分たちはタレントを「選ぶ側」に回って、自分たちは関係ないと遠回しに主張しているようなメディアの姿勢には嫌気がさす。
今回の問題は、業界の中枢にいれば、ほとんどの人が薄々気がついていたのではないだろうか。
ジャニーズが数字を持っているからと言って、それをアンタッチャブルとして、被害者を増やし続けてきた責任はメディアにもあるはずだ。
今回のジャニー喜多川氏のケース。
例え、それが表向きではなかったとしても、1人の人間が絶対的な立場で大きな組織を動かすことには限界があるのだ。
「自浄作用」が働かなくなる。
一個人がどんなに優れていたとしても、偏りやバイアスは必ず存在する。
社会的に影響の大きな組織であればあるほど、それを客観的に是正していくことが求められるのだ。
今回のケースでは、長年それが機能していなかったのではないだろうか。
内輪でワイワイやっているだけの団体であれば、ここまで大きな問題になることはなかっただろう。
小さな組織では、このような横暴は日常的に発生している。
セクハラやパワハラ、それに耐えながら生活している人は、社会にはたくさん存在するのだろう。
これを面白おかしく「栄華を極めたジャニーズの没落」というドラマに仕立て上げてはいけない。
問題は足元にゴロゴロ転がっている。
1人1人が立場に関わらず、人格を磨き続けられるならば、それに越したことはない。
しかし、人は権力を持つと、それを自らの欲望を叶える道具としてしまうのだ。
そうならないための「自浄作用」を設ける必要がある。
古今東西「ルールを作る側」に都合の悪いルールは作られないのだ。
人は強く儚い。
おかしな方向に行かないためには、誰かに律してもらうことが一番な早道だ。
完璧な人間など、この世に存在しないのだから。