「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人生における「非機能要件」について思うこと

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言語化しにくいけれども重要な条件、

数字には表しにくいけれども重要な条件、


そういうものはいくらでもある。


便利な「アプリ」がリリースされたとしても、

ボタンを押した時のレスポンスが悪かったり、しょっちゅうサービスが落ちていたり、

挙句の果てには某コンビニの決済サービスのように情報が抜き取られるようなことがあれば、

その「アプリ」は使われ続けることはないだろう。


多くの人は「なんとなく使いにくい」だとか、

「なんとなく気に入らない」だとか、

そういう「非機能要件」に囚われて生きているのだ。


理由を突き詰めれば言語化できるかもしれないけれど、

それをするためにはとても手間がかかる。


だから「なんとなく」気に入らない。

「なんとなく」合わない。

「なんとなく」一緒にいて疲れる。

そうやって人間関係を取捨選択しているのだ。


「非機能要件」


逆にそれをはっきりと言語化して突き詰めていけば、

自身の傾向を掴むことができるのかもしれない。


おそらく私はブログを通してそういう作業を続けている。


日常に蔓延る「なんとなく」

それを拾い集めて記事にしているのだ。

そうやって「なんとなく」を分解して、その成分を調べて自分に還元する。


私の中のブラックボックスを減らしていく作業、

私にとってのブログ執筆はそういうものなのかもしれない。


だけれども、明らかになったところでどうしようもないこともある。

私は私のことを解明していくたびに、かえって可能性を狭めているのかもしれない。


「なんとなく」で済ましていれば我慢できていたものを敢えて言語化することによって、曖昧なままでは済まなくしてしまう。


定義付けするほどに融通は利かなくなる。

そんな汎用性の無い人生はあまり面白いとは思えない。


「なんとなく」一緒にいて楽しいから一緒にいる。

「なんとなく」居心地が悪いから飛び出してみる。

 

「なんとなく」「なんとなく」「なんとなく」

それでいいんじゃないかな。


私は自分の人生に制約を設けすぎているのかもしれない。

自分のブラックボックスを解明することで自分を縛り付けているのかもしれない。


何度も書いている言葉だけれども、

「信念」とは「諸刃の剣」なのだ。

時には自分を傷つけることもある。


「自分らしさ」というものを定義付けようと躍起になって、

「信念」というものに殉じることだけが美徳ではない。


「なんとなく」「なんとなく」

そういう汎用性が安心感を生むことは多いだろう。


私は男からはモテる。

おそらく男は輪郭のはっきりしたものを好むからだ。

自己開示をしないよりも、したほうがメリットが大きいと考えている私の性格はわかりやすいのだろう。


だけれども「なんとなく」の世界で生きている人には、私の性格は受け入れられないのかもしれない。

 

多くの女性はそっちの方なのだろう。

だからそういう女性たちは、ともに過ごす時を重ねるにつれて私から離れていく。


だからと言って、あまりそれを変えるつもりはない。

 

「なんとかなる」だとか「考えすぎ」だとか言って、ぐいぐいと私を振り回す。

そんな、ブレーキかけずに突っ込んでくるような女性とは逆に相性がいいように感じる。

 

「なんとなく」を言語化していく作業、

私はそれが嫌いではない。

だけれども、相手にそれを強要するつもりはない。

 

それでいいのだ。

バカボンのパパもそう言っている。


結局、私は「なんとなく」を解明するために書き続けることになるのだろう。

 

それが「私の人生」なのかもしれない。