開催するまで色々あったけれども、
ついに開会した東京2020オリンピック、
自粛の連休だったこともあり、
開会からテレビに「くぎ付け」だった。
私がリアルタイムで見たものだけでも、
史上初となる阿部兄妹の同日金メダルを筆頭に、
卓球・混合ダブルスのドイツ戦、最終セット大逆転勝利からの決勝で中国を破り金メダル!
ソフトボール・カナダ戦での劇的なサヨナラ勝ち、
男子サッカー・メキシコ戦勝利など日本は大躍進している。
コンディション調整や選手村の環境、
羽を伸ばすことのできない厳戒な行動制限、
直前まで参加を表明しなかった有名選手もいたほどだ。
見えないところでは未だに色々な思いが交錯しているのかもしれないけれど、
「画面越しに伝わる感動」は疑いようもない事実、
はじまってみれば「お祭りムード」で盛り上がっている姿に対して、
「日本政府のシナリオ通り」だなんて揶揄が目に付くけれど、
そんなことはアスリートたちには関係ない。
素直に健闘を称えて、素直に感動を分かち合えばいいのではないか。
「抑圧された感情」を「オリンピック中止」と同化させてしまうあまり、
素直にこの感動を分かち合うことができないというのはもったいない。
「今は」素直になればいいのだ。
増え続ける感染者、
名ばかりの緊急事態宣言、
感染拡大を抑えようと陰で奮闘する人たちや、
生活が困窮していく人たち、
「祭りの熱」が冷めた時に、国民は「厳しい現実」を突きつけられることになるだろう。
「それ見たことか」と飛び交うヘイト、
もしかしたら「感動」は余韻を残すことなく霧散してしまうのかもしれない。
それでも歴史は変わらない。
「東京2020オリンピック」を開催したという事実は変わらないのだ。
それならば、その上に立って進むしかない。
あとから責任を追及したところで仕方がない。
秋に控える国政選挙、
そこで審判は下るのだろう。
開会式のその時まで競技場近くで「中止デモ」をしていた群衆、
開会を告げる花火が上がると一斉にスマホを取り出してシャッターを切る。
私はそれを見てなんとも微笑ましいと思った。
「ああ、居場所が欲しいだけなんだな」って、
「誰かと思いを共有したいだけなんだな」って、
「生きている実感が欲しいんだな」って、
行動は違っても、
抱えている感情はみんな同じなのだ。
「何者でもないこと」に辛くて耐えられないから、
そこに「アイデンティティを見出そうとしているだけ」
方向性は違っても、
みんなおんなじなのだ。
おそらく彼らの多くは今頃私と同じように、
日本選手の活躍を見てガッツポーズしていることだろう。
「学生運動」と同じ、
学校や社会に対する不満から暴力行為にまで至った人たち、
一度騒ぎが落ち着けば、借りてきた猫のようにスーツ着て就職活動、
そのまま飼い慣らされたサラリーマン、
「生きている実感が欲しい」
「先に進んでいる実感が欲しい」
「正義に連なっている実感が欲しい」
ただそれだけ、
「生きるに足る理由」が溢れている。
日本は平和で良い国なのだ。