この曲をちゃんと聞いたとき、
正直「痛いな」と感じた。
いろんな意味での「痛み」だ。
私の過去にナイフを突きたてられたような「痛み」
相手に対する未練を断ち切れない弱さに感じる「痛み」
そして相手を「ドライフラワー」に例える表現に対する「痛さ」
あなたは、
あなたとの思い出は、
きっと時間がたてば色あせてくれるはず、
だけれども、いつまでも枯れてはくれない。
まるで「ドライフラワー」のようだ。
そんな歌詞、
「もう連絡をしてこないでよ」って、
相手を「自分勝手」だと決めつける弱さ、
「弱いこと」はわかっているのだ。
それでも、あなたの存在を認識するたびに傷口は疼く。
傷跡ははっきりと残ってしまい、
決して消えることはない。
向こうはもう気になどしていないのに、
いつまでも、いつまでも、
相手にどこか期待をしてしまうのだ。
この曲は「男目線の歌詞」だと思っていたけれど、
調べるとどうやら違ったらしい。
男の「痛さ」を綺麗に表現した曲だと思っていた。
いつまで経っても思い出をきれいに取っておいてさ。
プライドを守るために美談にしておきたい。
それを「弱さ」だと認めることもできずに、
人生の「勲章」に差し替えてさ。
自分は「こんなにいい女と付き合っていた」ってさ。
過去にしがみついて生きている。
そういう曲だと思っていた。
男の恋は「名前を付けて保存」で、女の恋は「上書き保存」
そんな表現をされることがあるように、
女性はどちらかといえば時とともに前に進むことができる。
そう思っていたけれど、
女性もいつまでも恋を引きずることがあるのかな。
見た目は美しいかもしれないけれど、
「ドライフラワー」はもう枯れているのだ。
少し力を込めて触れただけで、
ボロボロに崩れてしまう。
綺麗なまま大事に保管するのにも骨が折れる。
いや、手つかずのまま放っておいて、
都合の良いときにだけ取り出して、
都合の悪いところは切り捨てて、
都合の良いところだけを見せびらかせばいいのか。
人って弱い生き物、
だから、みんながみんなに優しい。
優里 『ドライフラワー』