転職のタイミングと重なって、
職域で接種できなかったものだから、
地域で予約して受けることになった。
ライブのチケットを取るかのような争奪戦、
次々と埋まっていく枠、
渋谷で並んでいる若者たちが報道されているけれど、
ある程度意識のある人たちはみんなワクチン受ける意思があるのだろう。
それもそのはず、
世間的には接種している人が多数派になってきたのだから、
日本人は「平均」に弱い。
情報操作の容易な国民性、
「受けた?」って話になって「受けてないの?」って反応を返されようものならば、
「受けてないとマズイんだ」となる。
そうやって世論は形作られていくのだ。
「多数決」で物事が決まっていく。
そういうのが大好きな国民性、
かく言う私も一度目の接種を終えた。
熱は全く上がらなかったけれど、
しばらくは腕が痛くてだるさが続いた。
若干の頭痛もあっただろうか。
ファイザーだったからか、
それほどの副反応はなかった。
2回目は大体副反応が出るらしい。
しっかりと倒れる準備をしておかなければならない。
ワクチンを受けたあとは、
行きつけのスーパーでアイスを大量買い。
毎日一個のアイスを食べる生活が続いている。
ワクチンを受けようが受けまいが、
アイスを食べることは変わらない。
もし高熱が出たところで私はアイスを食べ続けるのだろう。
楽しみがあるって大事なこと、
わずか100円程度で毎日満たされるのであれば、
それは安い買い物だ。
その分のカロリーを消費するためにランニングに勤しんで、
慣れない仕事に精を出す。
今の私はアイスを食べる楽しみのために生きているのかもしれない。
そう考えると「生きがい」なんてものは、
どこにでも転がっていることになる。
気が付かないだけで、
「喜びを感じられる瞬間」というものは日常にたくさんあるのだ。
それを「嫌なこと」で目隠ししてしまうから、
だから「生きること」が辛くなる。
些細な喜びに目を向けて、
それを最大限に楽しむこと、
生きている実感さえ感じられればなんでもいい。
それに鈍感になってしまうから、
死にたくなってしまう。
所詮、感情なんてものは脳内物質の分泌加減によるもの、
そんなに大層なものではないのだ。
うまいこと自分をチューニングしてあげればいい。
ワクチンを接種して、
身の危険を感じた直後に私が行ったことは、
「アイスを大量に買う」ということ、
私にとってアイスは人生における重要なピースなのかもしれない。
今の生活を満たすために重要なもの、
だから真っ先に確保したのだ。
なんだかそう思った。