先日、3回目の新型コロナワクチンを接種した。
最も副反応が出るとウワサのファイザー、ファイザー、モデルナのパターンだから覚悟をしていた。
しかしながら、熱はほぼ平熱、
腕の痛みはあるものの、その他の症状は、多少の倦怠感くらいしか出なかった。
翌日からは、普段とほとんど変わらない生活どころか、忙しく過ごしている。
注射をしてくれた看護師さんから脅されるほど、安静にすることを勧められたのだが、私はどうやら副反応の出ないタイプのようだ。
1回目は全くだった。
2回目も倦怠感は強かったが熱は出なかった。
そして、3回目は2回目よりも反応が弱い。
そういう体質なのだろうか。
しかし、逆にワクチンが効いているのか不安になる。
幸い、コロナ禍になってから、今まで、私は一度も高熱が出ていない。
そう考えると全く問題はないのだろうけれど、これからも大丈夫とは限らない。
対策としては、熱が出る前に解熱剤を飲んでおいたことが功を奏したのだろうか。
それにしても、2,3日も高熱で苦しむ人がいる中で、3回目の接種も難なく乗り切れたことは幸いなのだろう。
これで私は、ファイザーに問題があった場合も、モデルナに問題があった場合も、どちらの場合のリスクも請け負うことになった。
不思議と抵抗はない。
私は私の命に対して、ある程度割り切っているところがあるのかもしれない。
精神的と肉体的に一度ずつ死にかけた経験は、私の人生に少なくない影響を与えているのだろう。
結婚して、家族を持つことになれば、この感覚は変わるのだろうか。
私がパートナーとして理想とする「強い女性」
ただ格闘技をしているということではない。
精神的に自立しており、困難を自分の力で乗り越えていくことのできる女性という要素だ。
そういうパートナーを求めている一つの理由として、私の身に何かがあっても、この人ならば1人でも大丈夫だな、と思いたい。
もしかしたら、そんな意識があるのかもしれない。
私は、私のことを「いつ死んでもおかしくない」と思いながら生きている節がある。
命に及ぶ持病を抱えているわけではないし、精神的にも経済的にも安定している。
だけれども、漠然と思う「いつ死んでもおかしくない」という感覚。
人はいつかは死ぬことになる。
そして、大事な人を看取ることもあるだろう。
命に及ぶような経験を経て、
私にとっては「死」が身近になり過ぎてしまったのかもしれない。
悪いことばかりではない。
だけれども、人とは少し感覚の違うところがあるのかもしれない。
苦しみすらも「経験」だ。
だから副反応に対しても、久々に高熱が出て苦しんだ時に、私は何を考えるのだろうかと、少し興味があったところもある。
私は精神的にヤバいのだろうか。
それとも、ヤバいを通り越してまともなのだろうか。
「ぴえん通り越してぱおん」
ぱおんって何だ。
それと同じように、
私には、私の状態がわからない。