「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人に影響を与えることで得られる自己肯定感について

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自分のやってきたことは無駄ではなかった。

 

そう思えた瞬間ほど、

涙のこみ上げてくるものはない。

だから人は人と関わり続けるのだ。

 

それが成功体験として蓄積されるうちに自己肯定感は高まっていく。

その繰り返しの中で、人は「生きていてもいいんだ」と、居場所を手に入れる。

 

そうやって織りなす人生というもの、

 

人は人生に意味を求め続ける生き物だから、

詰まるところ、人は人の中でしか生きられないのかもしれない。

 

人との関わりに疲れたことをきっかけにその生活に足を踏み入れたとしても、

無人島で世捨て人として暮らしているような人だって、どこかに時が経つにつれて触れ合いを求めるようになる。

 

「他人は鏡」

 

周りの人は自分を写す鏡なのだ。

自分の現在地、自分の目指すべきところ、

それをわかりやすく理解する為にも、周りの存在は不可欠、

 

人に影響を与えているようで、人から影響を受けている。

直接的な関わりではなかったとしても、誰もがそのような関係をいくつも持っていて、それを元手にして人生を紡いでいる。

 

自分を認めてあげること、

自分を信じてあげること、

 

それを求めているのであれば、

周りの人を認めて、周りの人を信じて、

そのお返しとして、周りから認められて、周りから信じてもらえて、

 

そのうちに世界を認められるようになって、

世界のことを信じられるようになって、

世界の一員として何か貢献したくなる。

 

世界を広げていくってことはさ。

巡り巡って自分自身を掘り下げることになるんじゃないのかな。

 

世界と自分をどれだけコミットさせることができるかで、器の大きさは決まってくる。

 

心の容量が大きければ大きいほど、余計なものをたくさん背負い込むことができるのだ。

そして、その余計なものが意外と大切だったりもする。

 

だから器を大きくして、いろんなことに首を突っ込む余裕があるということは、さらに器を大きくする為に必要なのかもしれない。

 

何だか言葉遊びみたいになってきたな。

 

私が書きたかったことは「世界と自分との間にどれだけ親和性を見つけて生きているかで『器の大きさ』が決まるんじゃないか」ということ、

 

そのためには、余裕が必要だ。

時間ではなく心の余裕が必要だ。

そんなことを考えたので書き留めておく。