いわゆる「思い込み」
メンタルに有意な効果を与えると専らの評判だ。
「良く」も「悪く」もだけれども、
ある種の心の支え、
人生にそういうものは必要だ。
ある人は「メンター」として、
ある人は「信仰」として、
ある人は「所属」にそれを求めるかもしれない。
人は「強く儚い生き物」
「残酷」かつ「脆い」のだ。
基本的には「希望」を持っているものだから、
都合の良い方向にばかり流されてさ。
「幸せになれる」だとか、
「努力は報われる」だとか、
とにかく目の前に明かりを灯して、
ぶら下げられたニンジンのように、
それを頼りにして、
一歩、そして一歩と進むのだ。
その先にあるものは真っ暗で見えない。
それでも明かりを頼りにして、
ひたひたと、進むのだ。
「希望」は人生の道しるべ、
だから人は「希望」が待ち受けていると思い込む。
その思い込みの力が強い人ほど、
きっと人生を謳歌できるのだ。
精神疾患と言うのは、「希望」を持てなくなってしまう病気なのかもしれない。
何を考えても「絶望」からスタートするものだから、
徐々に「生きる気力」は失われていく。
「パニック発作」の症状が出ていた時、
私はとにかく行動した。
これでもかというくらいに、
思いつくことは何でもした。
まともに寝られなかったものだから、
体力は限界で道に倒れ込んだこともあった。
それでもバカみたいに、
「元に戻ることはできないけれど、前の自分よりも良くなることはできる」だなんて思いこんで、
それを親しい友人に話したりなんかして、
約半年ほどで一番苦しい時期は乗り越えた。
「希望」と「絶望」のサイクル、
一日でどれだけ循環したかわからない。
人生でこれほど「希望」と「絶望」を繰り返した時期はなかっただろう。
今でも自律神経の不調はある。
それと向き合いながら生きることに変わりはないけれど、
私は生活を取り戻すどころか、
大きな財産を手にしたと感じている。
「バカみたいに希望を持ち続けること」
私はそれによって救われた。
だからって「希望を持て」だなんて、
安易なことは言えないけれど、
「バカみたいに前向きになることも悪くはないよ」って、
それくらいにはおすすめできる。
これでもかってくらい女性に裏切られて、
「報われないことばかりだ」って書き続けていた頃は、
書くことにカタルシスを求めていた。
ある種のヒロイズム、
そこが「居場所」だったのだ。
一周回って立場は変わらないけれど、
今の私は「前向きなこと」を書くことが増えた。
さんざん毒を吐き散らしたことで、
毒を吐くことの虚しさを感じて、、
毒を吐く自分に対する嫌悪感が生まれた。
私にとってのブログってものはさ。
そういう醜い時期を埋めてくれるものだったのかな。
だから私はブログに感謝をしている。
お付き合いして下さる皆さんにも感謝をしている。
私にとってのブログが、ここから先どのように変わるのかわからないけれど、私がブログを書き続けているのは、それが成功体験と結びついているからかもしれない。
変化に対してポジティブになれた。
自分とは違う人に対して、
違いが大きいほど「面白い」と思うようになった。
多くの方は既に引退してしまったけれど、
たくさんの方の生き方に触れることができた。
私の変化はきっと、
私の人生に必要なことだったのだろう。
ここから先も人生を楽しみたい。