「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

LGBTの「先天的」「後天的」について

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テレビで特集されることの増えたLGBT

ドラマの題材なんかにも使われて、世間に広く認知されたと言って良い状況まできているのだろう。

 

当人たちからすれば「まだまだ」なのだろうけれど、カミングアウトのハードルは昔と比べて下がり、いたずらに非難されることは減ったのではないだろうか。

 

そうなってくると次は「自分もそうなんじゃないか」って、そういうカジュアルLGBTが増えてくるのではないかと感じる。

 

アセクシャル」をテーマにしたドラマを見たけれど、なんだか違和感を覚える。

曖昧にしておけばいいものを、「嘘をつきたくない」と、敢えて家族にカミングアウトするのだ。

その結果、理解を得られずに「もういい」と手のつけられない状況に自らを追い込む。

 

あくまでもドラマを見た印象なので、実態との乖離はあるのだろうけれど、この姿からはどこか「LGBTである」ことに自分の存在意義を求めているのではないか、と感じる。

 

こういう形での問題を抱えているのであれば、「性の問題」というよりも、「アイデンティティの問題」と評価する方が適切だ。

 

敢えて批判を恐れずに述べるならば、今の時代は多様性を認めるあまり「少子化」に拍車がかかる時代だ。

童貞の私が述べるのも滑稽な話だが、ある意味では、精神的充足感を満たすための手段を各々見つけ出していて、結婚するメリットよりもデメリットの方が勝る時代なのかもしれない。

 

人は生存力を上げるためにコミュニティを育て、「社会」を作り上げた。

そこには秩序を守るためのルールが決められており、その抜け穴を探す輩に対応するためにルールはどんどん複雑になっていく。

 

そして、ルールとは別の「暗黙の了解」みたいなものまでどんどん増えていき、人は「察する」ことを求められるようになる。

 

個性よりもルール、

そのような土壌で育てられ、雁字搦めにされていくと、そこへの反発が生まれる。

個性的であろうと奇抜な発想を世に発信する「アーティスト」と呼ばれる人たちが人気を集め、それはカルチャーとして世に認められていく。

 

LGBTにしても、これと同じ構図だと思うのは私だけだろうか。

 

無意識レベルでの体験を含めて、

セクシャルマイノリティは後天的なもの」

少なくとも私はそう思って生きてきた。

 

そもそも「好意」なんてものは不確かな感情だ。

 

だから都合よく、「ヘテロ」から「ゲイ」や「レズビアン」を名乗り、そこから好意の対象が変われば「バイセクシャル」と、個人の中でも体験を契機に移り変わるもの、

 

それの是非を論ずるつもりはないため、簡潔に済ますが、「人生は自己責任」だと常々書いている立場だ。

責任を取るのならば、性的指向がコロコロ変わろうが構わないのではないかと思う。

 

ヘテロの私でも、何かの契機があれば性的指向は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

それくらい柔軟な認識ではいるつもりだ。

 

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だけれども、実際にはLGBTの方の中には、物心ついた時から自らの体の性に違和感を感じる人がいるという。

 

「そんなことがあるのだろうか」

 

体験主義者の私はそう思ったが、そういうことはあるようだ。

もちろん、物心つく前の無意識体験により自認する性に変化の生じた可能性はある。

しかし、それだけでは説明のつかないような現象が起きているという。

 

ドミニカ共和国のサリーナス村というところでは、村人の50人に一人は、生まれた時から思春期を迎えるまでに、手術などを行わずに自然と体の性転換が起こるという。

信じられないことだが、分かりやすく書けば、思春期を迎えて生殖器が生えたり縮んだりするのだ。

加えて、その村人たちの性自認は一様に後天的な性とのこと、

 

つまり、脳の性別と体の性別が違うまま生まれてくるということは、「ある」と言えるということになる。

 

そう考えるとLGBTは、文化やファッションなどではなく、人体に備わる根本的な現象なのかもしれない。

 

冒頭述べた、私の実感は間違っているのだろうか。

それとも、ファッション感覚LGBTの方も一定数いるのだろうか。

 

「中年童貞」という意味では、私もセクシャルマイノリティなのかもしれない。

 

私の悩みはファッション感覚なのだろうか。

これだけブログ執筆の中で自分の気持ちを深掘りしても、それは当の私でもわからない。

 

それぞれに悩みがあって、その源泉は他人どころか、当の本人にもわからないのだろう。

だから悪戯に刺激されるといきりたつ。

 

ただ、一つだけ言えることは、「心の問題」(=後転的なセクシャルマイノリティ)を「体の問題」(=先天的なセクシャルマイノリティ)にすり替えた先には、あまり幸せな結果は待ち受けていないように感じる。

 

私の問題は分かりやすく「心の問題」だ。

紳士気取っているうちにチャンスを逃し続けて今に至る。

これを問題と捉えていて、解決する必要があるのであれば、どこかで心を変える必要があるのだろう。

 

「弱者男性のお立場表明」みたいな形で記事を書いていた時期があったけれど、それを続けたところで何も変わらないということは経験を通して感じたこと、

 

その先のフェーズがあるのだ。

自ら行動を起こす中で、悩みと向き合い乗り越えていくしかない。

誰かが代わりに自分の人生を生きてくれることなど絶対にないのだから、