「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

【DQ5】ビアンカ派とフローラ派

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私には二人の女性から一人を選べるような甲斐性はないけれど、

少しリアルに結婚への決断を迫られそうなシーンに足を進めているため、

表題について書きたくなった。

 

ドラゴンクエスト5がシリーズ屈指の人気を誇る理由として、主人公の人生を幼少期からトレースできるというストーリー性が挙げられる。

 

父が幼い自分を助けるために亡くなり、10年間奴隷を経験して、脱獄すると結婚相手を選択し、子を設ける。

そうしたら今度は敵の魔法で妻と共に石像にされて8年経ち、元に戻ったら子供は勇者一歩手前に成長していた。

そして最後は妻と子と共に魔王を倒しに行く。

 

なんとも壮絶な人生だ。

6歳から10年奴隷となり、幸せ絶頂のところから8年石像になる。

 

ドラクエ5の主人公の人生について語ると、それだけで一つの記事になってしまいそうなので本題に入る。

 

主人公の結婚相手として選べる2人のヒロイン、

ビアンカとフローラ、

 

そのどちらを選ぶかということは、ドラクエ史上、最も多くの議論を生み出したであろうテーマだ。

ニンテンドーDS版ではデボラというキャラも選べるらしいが、それは置いておこう。

 

初めに二人の特徴、

 

ビアンカ

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幼い頃に主人公と共に冒険に出かけたこともある幼馴染、

主人公より2つ年上で勝ち気なタイプ、

気丈な振る舞いをしているが、実は健気で繊細な一面を持つ。

 

 

フローラ

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お金持ちのお嬢様、おしとやかだが、わがままなところもある。

主人公とは出会って間もない。ポッと出のくせに運命的な出会いというやつなのか何故か迷いなく結婚を決める。

 

紹介文からもわかると思うが、

私はオーソドックスに「ビアンカ派」だ。

 

相手を選択する前夜には、2人の元を訪ねるというイベントがあるが、

ビアンカは夜風に当たりながら「眠れないの」と緊張した様子、

それに対してフローラは爆睡している。

 

このフローラって奴はどちらでも良いのだろう。

ここで選ばれなかったところで引く手数多だ。

そもそも他に有力だった候補もいたはずだ。

 

人の感情なんてものは移ろいやすいもの、

「未来永劫変わらない愛」なんてものは非常に稀だ。

 

だけれども、否だからこそ「結婚を決断する時の気持ち」は大事にしたいと思うのは私だけだろうか。

 

「決断の時、あんなに強い気持ちでパートナーを選んだ」

その思い出がマイルストーンになる。

 

けんかをしたり、別れを考えたり、顔も見たくなかったり、

二人の間には何度もそういう日が必ず訪れるだろう。

 

その時の「重し」や「原点」になるもの、

最も大きなものは子供かもしれないし、豊かな生活かもしれないけれど、

そのうちの一つに「好きだった時の気持ち」というものは含まれないのだろうか。

 

私が前に「パートナーは若い女性のほうがいいと思う理由」として、

「容姿に恵まれた時期を一緒に過ごしていた」ということがマイルストーンになる。

将来、一緒にいたくないと思う時が来たとしても、過去の相手との思い出を糧にして我慢できるのではないか。ということを述べた記憶がある。

 

これは「容姿」だけの問題ではないだろう。

「相手への愛が溢れていた時の気持ち」

それは長いこと一緒に過ごすうえで、愛情に対する「飢え」をしのぐために糧になるのではないだろうか。

 

だから私は、どのような出会いからの始まりだったとしても、

「恋愛」を経て「結婚」に至りたいと考えている。

 

そう考えた時に、思い出を積み重ねてきたビアンカを選ばないという選択は憚られるのだ。

PS2だったかリメイクを含めてドラクエ5SFC版から何度かプレイしているけれど、

フローラを選んだことは1度だけだったと思う。

 

そしてその時に、道中で父親の富豪から「みずのはごろも」を届けられた時のやるせなさ。

「こんなもののためにビアンカを捨てたのか」

そんな感情が湧き出てくるのだ。

 

中川翔子さんが「何度やってもフローラ様を選ぶ」と嬉々として話している姿を見て、

男女では結婚に対する感覚が違うのかなと感じた。

 

たかがゲームだけれども、

この決断は心に刻み付けられる決断だ。

 

記憶に残る選択、

ドラクエ5が名作と呼ばれる所以だろう。

 

私の決断も、私の心に従ったものにしたい。