「合理的」に考えられるものからどんどん効率化されていく。
そうなると、あとに残っていくのは「非合理的なもの」だ。
「なんかいいよね」みたいなやつ、
「娯楽」や「芸術」がそこに当てはまるだろうか。
そもそも人間と言うものは「不完全な生き物」だ。
だからこそ「不完全なもの」に惹かれる面がある。
「完璧」だと息が詰まってしまう。
だから「ホッとできる環境」が必要なのだ。
「無駄に時間をかける美徳」
「丁寧な暮らし」と言い換えることができるだろうか。
「時間をかけて作り上げたものは良いもの」
そういう風潮すらあるくらいだ。
日本は経済成長率で後れを取っていて、
そこの「競争力」で勝負しても見通しは明るくはない。
大勢の意見はそこに落ち着くだろう。
「コモディティ化」
「効率の良さ」はもはや限界に近付いているのかもしれない。
だから別の「付加価値」をつけて差別化する。
すでに「消費」はそっちの方向に進んでいるのだろう。
そうなると「勤勉さ」が売りの日本人にも勝機があるのではないか。
職人の作る伝統工芸品や、匠の作り出す味、
ほとんどわからないところまで完成度を追求する姿勢、
そこに「美徳」を持って働いてきた日本人、
何とかその強みを生かせないものか。
もちろん「効率化」は必要なんだけれども、
「テーゼ」というか「共通の目的」と言うものに乏しい。
下町の工場だけれども、技術に懸ける思いを前面に押し出して、
大企業にコンペで勝ち「ロケット品質」という誇りを打ち立てた。
「働き方改革」
「社畜になるな」
「仕事はそこそこでいい」
もちろん体を壊したら元も子もないけれど、
そういう社会の方向性は「日本」に合っているのだろうか。
プライベートに仕事以上に情熱を燃やせるものがあればいいけれど、
それにしてもなかなか難しいこと、
それならば「仕事に生きがいを求める」と言うのも選択肢の一つだ。
なんだかそれが「悪」だと思われる風潮、
そこに「違和感」を覚える。
舵取りが下手すぎて「右」か「左」の二択しかないのかな。
自分の頭で考えることをしてこなかったツケが回ってきているのではないか。
教育自体に問題があるのかもしれないけれど、
「金太郎飴」のようなビジネスマンは、そのうち淘汰されてしまうだろう。
おそらく私も「金太郎飴」の域を脱していないビジネスマンの一人、
何か「差別化」できる価値を見出す必要がある。
そのヒントが「非合理的なもの」の中にある気がするのだ。