「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「作品を作る」ということは、「生きる意味」を模索すること

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「自分の時間を形あるものとして残したい」

 

アーティストには、少なからずそういう気持ちがあるだろう。

その観点からすると、作品は「生きた証」となる。

 

私の書いているブログも似たようなものだ。

自分の足跡を記録して、それが確かなものであったと確認するために書き続けている。

 

「作品を作る」

 

どうしたって、その活動の中には気持ちが宿る。

言われるがままに書いたポップスだって、適当に書き連ねただけの文章だって、必ずどこかに人の意思が宿っている。

 

その人が存在しなければ生み出されることのなかったもの。

それが作品なのだ。

 

人にしたって、作品に生かされているところはある。

過去の自分を振り返り、自分という人間の存在意義を確認する。

ある種の依存関係が、そこにはあるのかもしれない。

 

ブログを含めて、作品を作り続けている人には目的がある。

それは「無意識」の中にあるのかもしれないけれど、必ず作り続ける目的があるのだ。

 

そして、ある意味では自分の分身とも言える作品を作るからには、自分と向き合う作業が必要となる。

 

「生きる意味」

 

そんな答えのない問いに対する、

途方もない思考の繰り返し。

それを続けることは、人の本能なのだろうか。

いや、理性から発するものだろう。

 

私が1500日以上も毎日ブログを書き続ける目的は、おそらく「変わりたい」という思いが強かったのだと思う。

そのとっかかりとして、私はブログを書き始めた。

 

そして、それは一つの形として身を結ぶ。

私は転職をして、素敵な妻と出会い結婚をした。

「童貞こじらせ男」の結末としてはこれ以上ないものなのだろう。

 

だけれども、私はまだ書き続けている。

「習慣だから」という言葉で片付けられるのかもしれないけれど、どこかに何か引っかかるものがある、そんな違和感を拭うことはできない。

 

まだ先がある。

私の人生は、ここでプツリと途切れるわけではないのだ。

表舞台を去った芸能人だって同じ、山口百恵さんだって、芸能界を引退してからも母としての人生を続けていた。

 

まとまらなくなってきたけれど、何が書きたいのかというと、

「人は生き続けなければならない」

そして、そのために「作品を作り続ける」

「人」と「作品」の間には、そんな関係性があるのではないかということだ。

 

私は書き続けることで、私の人生を諦めなかった。

だから、ここまで辿り着くことができた。

これは、一つの成功体験でもある。

 

人の人生は、どこかのタイミングでプツリと途切れる。

だけれども、残した作品は、命とは関係なく残り続ける。

 

作品は、作者の分身。

「もがき苦しみながら生きてきた証」

 

生きる意味を求めて、暗闇の中を歩き続けるにあたり、拙い灯火として、自分の目も前を照らしてきた希望の光でもある。

 

私は今日も、暗闇の先にある「何か」を求めて火を灯す。

私はまだ、人生に何かを求めているのだ。