「望む将来」があるならば、
それに向けて時間を使うことが必要だ。
だけれども、自分が何を望んでいるのかわからないことは多々ある。
ただ時間ばかりが過ぎていく。
「何も望んでなどいない」とこじらせて、そこを居場所にした果てには、「いつ死んでもよい」などと、人生に希望を見出す気力すらなくなってしまう。
何を望んでいるのかわからない場合、
ネガティブ思考の中にヒントがある。
私はブログを通して、とことん自分の内面と向き合った。
ブログを始めた当初、私はどん底にいて、何かを始めずにはいられなかった。
そして、ブログを書き続けてしばらくしたら、今度は病気で「下手したら死ぬ」と宣告される。
その入院中に毎日ブログを更新し始めて1600日に近づく。
「その時に書きたいこと」
「日常でふと思い浮かんだこと」
「いま書いておかねばならないと思うこと」
あらゆる角度から、雑巾を絞るようにして、自らの心からエキスを抽出して文字に起こしたのが私のブログだ。
幸い、私の場合は、結婚という形で一つのゴールに辿り着いた。
長年の読者様ならば感じると思うが、絞り出した負の感情は浄化されて、ここしばらくはネガティブな記事を書くことが極端に減った。
「忙しさ」に追われながらも、私はどこか「救われた」と感じており、少なからず未来に希望を見出しているのだろう。
私は、ブログを利用して先へと進むことができた。
それは紛れもない事実だ。
平均すると、毎日1000文字から1200文字くらいの記事を書き続ける作業は簡単なことではない。
だからこそ、心を絞らないと言葉は出てこない。
それが私にとって良かった。そういうことなのだろう。
お陰で「メタ認知」については、おそらく本を書けるくらいのスキルは身に付けたと自負している。
自分の感情や欲求と向き合うこと。
人生において、その重要性を嫌というほど感じている。
「望む将来」
その答えは自分の中にしかない。
誰かの姿をきっかけにして、何かが芽生えることはあるかもしれないが、その芽生える何かの種は、自分の中にあるのだ。
だからこそ、自分が何に不安を感じており、何に憤りを感じており、どうすればそれを解消することができるのか。
まずは、とことんそれを洗い出すことが必要なのだろう。
文章にすることで、それを誰かに体系付けて話すことができるようになる。
そうすることで、周りも的確なアドバイスを送りやすくなる。
まずは「己を知る」ことをしなければ、目的地のわからないドライブを続けるようなものだ。
今、漠然とした不安に苛まれていて、人生に対して、望むものがないと感じているのであれば、私のように、とことん心を絞り上げることをオススメする。
人はいつだって無い物ねだり、
これから先、またネガティブな感情が私を包み込むこともあるだろう。
だけれども、これまで書いてきたことが、私が私を知るためのヒントとなる。
今の私は、メタ認知が癖になっており、自分の心が実体から離れて遠くに行かないように、毎日監視し続けている。
この結果としてどこに進むのだろうか。
フワフワとしながら流れに身を任せてタスクをこなしている。
思いもよらない場所へと漂っていく。
それはそれで面白い。
しばらくはこんな調子で良いのかもしれない。