「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「物事の本質」について考える学問

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「哲学」というものの定義。

それが表題に掲げたものだ。

 

主に形にすることのできない、

いわゆる形而上学的なものを題材とする。

 

人生とは?

人間とは?

幸せとは?

 

人は何かを考えて生きているようで、

思ったほど深く考えて生きてはいない。

否、考える暇もないと表現した方が適切だろうか。

 

だから、欲に引きずられて、

他人の痛みに鈍感になってしまう。

 

日々、何かを感じて生きているはずなのに、

それを十分に糧とすることをしない。

私の感覚では、それはもったいないことだと思う。

 

だから私はブログを書き続けている。

日々、浮かび上がった感情を掬い取って、

それをメモとして保存しておく。

 

その断片的なフレーズを元にして、

文章へと展開させていく。

私のブログスタイルは概ねそんな感じだ。

 

「自分はこんなことを考えていたのだな」

 

その「気づき」の繰り返しは、

「私」というフィルターを通しての世界へのアプローチ、

私は「私」を通して、世界のことを知ろうとしているのだ。

 

当ブログのテーマは一貫して変わらない。

「私と世界との関わり方」

私はそれを考え続けるためにブログを書いている。

 

「自分というフィルターを通して世界を見る」

 

誰もがそうやって生きているはずなのに、

真剣にそのことに向き合おうとはしない。

時は無常に過ぎていく。

 

答えを見いだせぬまま、

人生の終着点を迎える。

 

それは、いくら自分と向き合ったところで変わらないことなのかもしれないけれど、

私は足掻けるだけ足掻きたい。

 

ブログを通してのアウトプットは、

私が私であるために

私が筋の通った「哲学」を見失わないように、

そして、私なりの「哲学」を柔軟かつ確固たる方向へと導くために、

非常に重要な役割を果たしていると感じる。

 

人は環境に流されてしまう。

それは止めることのできないことなのだろう。

 

だけれども、

私の尊敬する方達を見て思う共通点は、

「生き方に筋が通っている」ということだ。

 

新たなことに挑戦し続ける人もいる。

だけれども行動の動機に筋が通っている。

家族の幸せを一番に考える姿勢、苦難をチャンスと捉える前向きさ。

 

私が「素晴らしい」と感じる人は皆、

筋の通った生き方をしているのだ。

 

だから、私もそうありたいと思う。

 

昔から掲げているものの一つ、

「目の前の一人に誠実であり続けたい」

それは一貫して変わらない私の思いだ。

 

これが、私の「哲学」なのかもしれない。